仙台・国分町におっさんの聖地を発見!!

昨日今日の現場となっているサーキット『スポーツランドSUGO』は、仙台まで30分ほどの場所で当然ながら昨夜は国分町近くに宿を取り、これまた当然ながら繰り出した。1軒目で当然ながら(くどいっ)牛タンを食い、2軒目は安居酒屋で酔い加減を調整した。酔い加減? 呑んべえならばこの感じはわかっていただけるかもしれない。お茶は飲みたくないが、ほろ酔いを維持する感じでゆったりと呑む。まさしく絶妙の加減をするのだが、なぜそんなことをするかといえばバーに繰り出すためだ。じゃあ、2軒目をバーにすればいいじゃんとなるが、僕にとってバーとは21時以降の場所なのだ。なんじゃそれと突っ込みたい貴兄が多くいらっしゃるだろうが、開店したてのバーにはそれらしい空気が漂わないのである。そんなことを気にしない客が何組か訪れてくれることで、バーのそれらしい空気が出来上がるのだ。

 

長い前置きになってしまった。てな訳で、昨日は僕にとっては極めて珍しく早い時間から牛タンで呑み、食い物屋の長っ尻は無粋だぜと安居酒屋に移ってホッピー少々で過ごし、定刻の21時が過ぎたところでそろそろ探すかと繰り出そうとしたら、安居酒屋の裏玄関目の前に写真の風景が広がった。これを見逃すはずがない。なんの迷いもなく入店すると、フッフッフ、大正解だぜ。

 

これが大正解どころか、僕のバーライブラリーの中でいきなり5本指に入るすごい店だった。昭和24年のオープン時はここら辺は焼け野原だったと語るのは2代目マスターだ。物腰の柔らかいジェントルマンで、バーの醍醐味である会話を楽しむ最高の時間が流れた。営んできた時間が店に乗っかっていて、店内のどこを眺めてもうっとりする美しさがある。

 

戊辰戦争以来、仙台は薩長を中心とした政府に疎んじられたまま終戦を迎えた。そして戦後は、伊達から続いた仙台人の魂によって復興を急速に果たしたのだ。その旗頭になったかは想像の範疇だが、マスターのおっしゃった焼け野原でポツンとバーを始めたという絵を頭に浮かべながら、先代のご苦労をたたえた仙台の夜だった。きゃー、親父ギャグ!!

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