とうとう故郷がなくなる。

4軒つながった長屋の手前が我が家だった。毎年お正月はここに集い、笑いの絶えない宴が続いた

長いこと最新号の紹介にかまっていたこのコーナーだが、そろそろワタクシのよもやま話に戻させていただく。

 

我々世代の実家現存率はどのくらいだろう。人それぞれに様々な事情のもとに、幸せに残されている方もいれば、泣く泣く失った方も多くいるだろう。50歳を過ぎたあたりから親の健康問題を含み苦しんでいる方も多いだろう。僕の場合、写真の借家に住む母親が去年の暮れに立ち退きを言い渡された。お袋にとっては嫁いできた家で思い入れもあっただろうし、僕にとっても思い出がどっさり詰まっている、狭くてボロながら大切な故郷だった。

 

先日、ここのそばに住んでいる友人から取り壊される日程が張り出されたとの連絡が入った。お袋の引越しは春だったから、僕は超繁忙期で実家にも氏神さまにもキチンとしたお別れができなかった。連絡によってスイッチが入ったように出かけた。

 

JR常磐線の三河島駅で降りた。最後とは言わないが、この駅に用事が出来ることは極めて少ないだろうなと噛み締めるように実家まで歩いた。慣れ親しんだ街はだいぶ疲れていて、古い家やもうずいぶん長らく住んでいない家も多い。湧き出でくる感情を心の中にしまいこむように、ゆっくりといつもの道を歩いた。そして空っぽになっちまった長屋の前に着くと、やっぱり涙がこみ上げたのは予定通りだ(笑)。しばらく眺めながらいろんなことを思い出し、感謝の気持ちでここを後にして氏神さまへと向かい手を合わせた。これで僕は故郷とのお別れを完了させられたのさ。

 

 

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