【誕生!昭和40年】ブルーダイヤ

昭和40年に生まれた、いわばタメ年の商品やサービスを思い出と共に紹介する連載記事

今回は、子供の頃、外遊びで汚れきった洋服を白く洗い上げてくれた洗剤の「ブルーダイヤ」を取り上げよう。「金銀パールプレゼント」キャンペーンが、なぜか男子の心も刺激した。
 

ブルーダイヤ
▲1950年代から、洗濯機が家電「三種の神器」の一つといわれ普及が進んだ。これに伴い、衣料用洗剤が次々と発売された。そのなかで、「ブルーダイヤ」は自分では洗濯をしない小学生男子の記憶にも残る商品だった (写真は ’67年発売時)

 
この歳になると、夏休みは夏バテ回復のためにあるようなものだが、小学生の頃は始まる前からワクワクして、実際に休みに入ると外遊び中心の生活で、よく星が見え始める時間まで遊んだ。

しかし、毎日浮かれているこちらと違い、母親からは「だから男の子は大変なのよ…」というグチが聞こえてくる季節でもあった。筆者は男2人兄弟で、夏は遊ぶ時間が増える分、洗濯量も増加し、母親は大変だったのだ。しかし我々はそんな気持ちなどつゆ知らず、家に帰ると洗濯カゴに、泥や砂で汚れた服を気楽に放り込んでいた。

当然、洗剤の存在など気にもしなかったが、なぜか記憶に残る洗剤が「ブルーダイヤ」であった。

これは、昭和40年にライオン油脂 (当時・現ライオン) から発売された衣料用洗剤で、洗濯機が急速に普及していくなかで、消費者のさまざまな要望に応えようと企画された商品。同社では、すでに「ハイトップ」というブランドがあったが、「ブルーダイヤ」は仕上がり時の白さをアピールしていた。中身は主に白い粒だったが、輝くような青い粒も混ざっていたため、それを宝石に見立て名付けられたという。その後も環境に配慮した改良なども加えながら、現在は「消臭ブルーダイヤ」として発売されている。(※2015年 本誌vol.32 発売時)
 

耳に残る「金銀パールプレゼント」

「ブルーダイヤ」が小学生の記憶にも残った理由は、何よりテレビCMの影響が大きかったのではないか。軽やかなCMソングと共に、青空を背景に物干し竿に吊るされた真っ白な服がはためく。さらに最後の数秒 (放映年にもよるが) 宝石箱の映像に変わり「金銀パールプレゼント♪」とリズミカルに歌われていた。

この部分、単にキャンペーンのお知らせなのだが、学校帰りにランドセルを背負いながら口ずさんだりもした。CMソングの大御所、小林亜星作詞作曲で、韻を踏むような語感のよさが心地よかったからかもしれない (これが「パール金銀」だったら印象は違っていたはず) 。

このキャンペーンは ’66年から、中断も挟みつつ2008年まで継続したが、残念ながら筆者の家では最後まで当選することはなかった。友人のなかにもおらず、我々の間では、いつしか “幻のプレゼント” のようにもなっていた。

しかし実際には、全期間合計でおよそ2万7,000名が当選していて、真珠のネックレスや指輪などを手にしているという。かなりの当選者数だが、日用品である洗剤の販売量からすれば、当選確率は低かったのかもしれない。ちなみに当たり券は、初期から箱の内側に貼り付けられていて、蓋を開けた瞬間に当選がわかる形だった。当たり券を目の当たりにするというのは、かなりのインパクトがあったのではないか。
 

金銀パールプレゼント
▲これが箱の中にあった ’66年当時の「金銀パールプレゼント」当たり券。もらえる商品によって券の色も違い、金色は本真珠のネックレスか、プラチナの指輪を選べた

金銀パール プレゼントセール ラッキーカード金銀パール プレゼントセール ラッキーカード 
こうして、キャンペーン名称の語感のよさ、長期間放送されたCMのおかげで、洗濯には全く縁のない子供たちにまで強い印象を残したのだろう。実際、’80年代以降には、ファミコンソフトのなかにそれらしきキャラクター (※1) が登場したり、’90年代少女マンガの題名 (※2) に使われたりしていることからも影響の大きさが推測される。

このキャンペーンの存在は多くの人の記憶に残っているようで、現在もライオンに問い合わせが来たり、復活の希望が届くそうだ。今や、男性も家事や育児をし、洗濯をする時代。もしまたキャンペーンが再開されたら、妻や彼女に金銀パールをプレゼントするため、男性はより一層洗濯に励むようになるかもしれない。
 
 
※1 … ’87年発売の『桃太郎伝説』に登場する「きんぎんパールプレゼントのオニ」  
※2 …『金銀パールプレゼント』(作:高田祐子/発行:集英社)
 
協力:ライオン
 
文: 舘谷 徹
昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中
 
  
『昭和40年男』2015年 8月号/vol.32 掲載】
 

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6件のコメント

  1. 金銀パールプレゼント♪耳に残りますよね。

    私が幼少期、母が当たった当たったーーーーと大喜びで叫びながら洗濯場から飛び出してきたのを今でも覚えています。その母もすでに他界しておりそのプラチナリングは形見として大事に使っています。
    家族の中で私しかその場にいなかったので、あの笑顔、思い出独り占めです。

  2. 懐かしー
    1998年6月復活の発案・商品企画に関わった者です。発案からかなり急ピッチで発売まで持って行ったんですよー。
    ちょうど私の結婚も1998年6月頭で、発売前だったか直後だったか覚えてませんが、披露宴の引出物に100箱近く無償でいただきました!
    1つ当たりがあると伺ってましたが、その後誰からもその報告はないです(笑

  3. 昭和41年男 Oさま
    いつも楽しいコメントをありがとうございます!昔はいろんな「当たり」モノがありましたよね。おもちゃなど、「現物」が入っているものは本当にわくわくしましたね!(昭和37年女)

  4. kakko_guさま
    こんなもの(こと)が「タメ年」だったんだ。と、あらためて思いをめぐらすこともありますね!(昭和37年女)

  5. すいません。
    「♪ブル~、ダーイヤ~」とは全然違いますが、
    当時コーンフレークにも箱の下のほうにビニールに入った小さいクラシックカーのプラモデルが入ってまして、それを目当てに母におねだりしてました!
    箱の中に手を入れて見つけた時の快感は今でも忘れられません。
    (ラッキーカードって、ライダースナックだけじゃなかったんですね。)

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