大編集後記その九。『戦争を知らない子供たち』の杉田二郎さん登場!!

ホントに『大編集後記その八』は昨日書いて、アップしたつもりになっていたのですよ。だから、毎日更新記録は続いていることにしてあげましょう。雨の日も風の日も締め切り日でも、思いつくままに綴っている編集長を今後ともよろしくお願いします。では気を取り直して、“今日の分”いきますっ!!

戦争を知らない子供たち

インタビューの取材現場で涙を流すのはイカンと、涙もろい僕はいつも自分に言い聞かせている。実際にこぼれ落ちたことがしばしばあり、その度にプロの現場でどうなんじゃと反省するのだ。憧れの人の取材の場合は、そもそもヤバいと心の準備をしっかりとしてのぞんでいる。これまでだとたとえば、10代の頃からずっと憧れ続けた元RCサクセションチャボさんやシーナ&ロケッツの鮎川さん、憂歌団の木村さんなどなど、目の前にした瞬間がマズイだろうと何度も言い聞かせて席に着き、インタビュー最中もどんなに感激しても堪えようとバッチリ気合いを入れるから、涙は見せずに乗り越えてきた。もっとも鮎川さんのときは、インタビュー最中にシーナさんが突如現れ、日本一カッチョいい夫婦が揃った瞬間にこみ上げてしまった…と、想定外の場合がまずいのだ。とくに昨今、多くの昭和40年男がそうだろうと思うが、涙もろくなっている。男は涙を見せてはならぬとの親父の教えなんざ、宇宙の彼方にすっ飛んでしまっている僕だ。今回想定外だったのは、杉田二郎さんの話の内容が素晴らしすぎた。表面張力(?)でなんとかこぼれるのは防いだが、目を見て話してくださった杉田さんには間違いなく気付かれただろう。ああ情けない。

戦争を知らない昭和40年男たちは、その情報を幼い頃より家庭で話を聞いた者とそうでない者とに別れるだろう。両親の年齢によって大きく異なるはずで、僕の両親は頻繁に話してくれた。だが、昭和7年生まれの親父と、昭和15年生まれのお袋の言葉にはずいぶんと差異があった。お袋はいつも物のない時代の苦しさと、戦地で亡くなった父親のことを写真でしか知らないと言っていた。そしてその写真が軍服姿だったので、よけいに父親を戦争に取られたとの想いを持って幼少より育ったようで、戦争に対して強い憎しみを持っていた。逆に13歳で終戦を迎えた父親は、戦地で役に立ちたかったとの言葉をよく口にしていた。男たる者はと、武士道とセットでよく語っていたものだ。そんな僕に、19歳上の杉田さんの言葉の数々は貴重なものだった。

杉田さんは昭和21年生まれだから、戦後第1世代になる。この曲を作り、歌うのにふさわしい年の生まれなのは偶然で片付けられない気がしてしまう。そしてこの曲によって悩み苦しみ、そこから気持ちが解放されていく過程を、長い時間をかけじっくりと話してくれた。これが泣ける話で、涙腺がゆるゆるになっていた。そして最後の最後に、現在の戦争について語り始めた。これがズーンと響き渡り、やられてしまったのだ。今回のページのラストのコメントがそれで、『戦争を知らない子供たち』を作曲した本人であり、長年歌い続けた男からの言葉なんだとの背景を加味して受け止めていただきたい。きっと、秋の夜長にズッシリと響くはずだ。まだ手に入れていない方はぜひっ!!

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で