阿木燿子さんの世界は昭和40年男の栄養源。

夢一夜今日は阿木燿子さんのインタビューに出かけてきた。まだテーマは明かしていないが、先日の研ナオコさん同様、次号特集のキーパーソンとなる1人だ。

阿木さんと僕ら昭和40年男の接点といえば、まずはなんと言っても山口百恵さんに提供した詞の世界だろう。数々の素晴らしい詞の中で、僕がとくに好きなのは「乙女座宮」だ。「今は獅子座のあなた」って、全国の獅子座の男たちはこの部分に狂喜乱舞したに違いない。そう、僕もその1人なんですよ(笑)。

ショッキングな出会いとなったのは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だ。小学4年生のときに突如としてお茶の間を席巻して、それまで触れたことのない世界を提供してくれた。東京荒川区の少年に、きっとスゴイ街なんだと信じ込ませた。そしてある土曜日に、仲良しトリオで横浜へ行こうと盛り上がった。きっとスゴイ街なんだと膨らんだ妄想を確かめるために、少年たちは三河島から常磐線に乗り込み、上野で京浜東北線に乗り変えて横浜駅を目指した、本人たちにとっては大冒険だった。が、着いてみてあまりにも普通の街であることにガッカリした少年たちだ。しかし不屈の精神で、きっとパラダイスがあるはずだと見知らぬ街を歩き回った。ついに見つけることなく迷子になり、夜遅くになって家にたどり着き、親にさんざん叱られるという結末になってしまった。だがこの僕らにとっての大冒険がいい想い出になったことは間違いなく、週明けの教室では自慢げにヨコハマを語った3人だったのだ。

小学4年生の男の子を旅立たせたのは理屈でなく、揺り動かす “なにか” がこの曲に詰まっていたのだ。歌詞の意味をよく噛み締めた訳じゃないが、その “なにか” ってのが歌詞の世界にはものすごく重要である。

阿木さんの世界で、僕にとって強く胸に残っているのが、南こうせつさんが歌った「夢一夜」である。中学に上がった年の寒い季節のヒット曲だった。自分のなかで音楽が大きな存在になってきて、とくに当時だとニューミューシックとかいう言い方だった連中に惹かれていった年頃だ。歌謡曲は卒業だぜと、洋楽を含めて背伸びを始めた頃で、この曲はそんな当時の志向にピッタリとハマった。

当時の僕に、この曲の意味なんかわからないのは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコヨカ」の時と同じだったが、やはり中1ではあるもののコチラの心を鷲掴みにするような世界であり、言葉の数々だった。サビの締めとなる3つの言葉は、今もまったく色褪せることなく唸らされてしまう。

「匂い立つ」「紅をひく」「身をまかす」

うーむ、スゴイ。昭和40年男の心の成長に、阿木さんの世界はまさに栄養となっていた。感謝の気持ちすら感じる僕にとって、ご本人の話を聞けたのは至福の時間だった。興味深い話もたくさん聞けたから、次号の記事に乞うご期待ですぞ。

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