バースデイ・イブ

明日、10月29日は『昭和40年男』の誕生日、創刊記念日である。満3歳を迎えて、より高いところを目指して新しい一歩を踏み出すのだ。それにしてもこうしてバカな興奮が文章になって残ってしまうのは、なんとも恥ずかしい。たった3年前のことながら、痛々しいほどの興奮がある。あー、恥ずかしい。この時点で今日はまったく予想できていなかったが、きっと成功するはずだとの期待は持っていた。自信過剰の僕が描いたイメージと比べると現在の場所はだいぶ低いが、それでも昨今の出版事情からするとまずまずの位置にいるといえる。

当時…、今もだが出版業界には逆風が吹き荒れていて、問屋さんは立ち上げに消極的であり、とくにこの『昭和40年男』は「売れるはずがない」と反対された。問屋交渉の担当者ではらちがあかないと自分自身で説得に行き、暑苦しい交渉に降参させるかのように渋々扱ってもらったのだ。その創刊号が、特大ホームランではなかったものの、クリーンヒットといえる結果が出て定期刊行に打って出たのだった。

あの日から3年とは、時間とは容赦なく流れていくのものだ。44歳だった僕は47歳で、同じ時間が流れれば50歳の大台である。カンタンにあっという間の3年だったとは言い切れない、なんだか体内時計が狂っているのは、人との出会いがたくさんあったことだろうと振り返っている。この本をキッカケに知り合い、まるで旧知の仲のように意気投合している者たちがいる。ビジネスを切り口に知り合った連中も同様で、互いのビジネスを本気で繋げようともがいていると、仕事を超えた付き合いになっていく。自分をさらけ出さないとそうはなれないから、そのままダイナミックな感情の起伏がある日々を過ごしていたことになり、そんな濃密な時間が体内時計を狂わせているのだろう。いい本にしたいと悩み苦しんだ日々だったことも、濃密な時間へと繋がっている。

コイツはイケルと信じて打ち込んだモノがまったく支持されなかったり、思いどおりにならないことを何度も味わった。自分の年齢の雑誌を作ることは、3年前の僕はもう少し容易なものだととらえていた。フンドシを締め直し続けた3年でもある。

ともあれ続けてきた今、継続を決定できることは幸せである。この勝負の前に音楽雑誌で、『昭和40年男』同様立ち上げから懸命に戦ったが、無惨に破れたのだった。一度立ち上げた出版事業を、キチンと精査するには3年かかると踏ん張ったものの、結局は軌道に乗せることができずあきらめたのだった。その傷を抱えこんだまま『昭和40年男』をスタートさせたのだから、肩に背負った重圧ったらとんでもないビックサイズだった。その勝負の初戦に勝利したことになり、これからに繋げていく。その記念日である明日が、ありゃりゃ『浅草秘密基地』と重なっているじゃないの。コイツは騒がねえと罰があたるってもんだい。〆切作業の缶詰から一瞬だけ抜け出して、誕生日祝いを決め込むから、おつき合いいただける方はぜひ。バースデイケーキを用意して待ってるぞ。

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