テレビに夢があふれていた時代。

このブログの電器屋ネタに度々使う写真で、なんとも申し訳ないっす…
このブログでは、実家の電器屋ネタに度々使う写真で、毎度申し訳ないっす…

今日の東京はグーンと冷え込んで、真っ黄色にそまったイチョウが木枯らしに舞っていてなんとも物悲しい気分にさせられる。同時に、街の灯りになんともあたたかい気分になるのも年の瀬ならではだ。

このブログで何度もネタにしている、僕は東京下町の電器屋で育った。これは今の人生に大きな影響を与えていて、年の瀬は休む暇がないと諦められる素地を作ったのだ。電器屋にとって12月は夏のクーラー需要と並んで超繁忙期で、小学生の頃より家の手伝いに精を出すけなげな僕だった。

なんてったってテレビが売れた。お正月番組を新しいテレビで見たい。決して安い買い物じゃなかったから、家族でさんざん議論した末での購入だったろう。首を長くして待っているところへ親父と2人で出かけて行き、ほこりだらけの古いテレビをまずやっつける。真空管&ブラウン管の重いテレビだ。そして設置してあった場所に奥さんが掃除機をかけるとさあ、いよいよその瞬間だ。

僕ら親子は、新しいテレビを大事に慎重にその場所へと設置する。まだまだテレビは一家に1台の時代で、居間に堂々と鎮座する。居合わせた家族は集結しその姿を見守っていて、そのなかに同級生の、しかも女の子がいたりするとすごく恥ずかしかった。親父がアンテナと電源コードをつなぐ。スイッチオン!! 若干の時間をおき、美しいカラー映像が映し出されたその瞬間のうれしそうな顔ったらこっちまで幸せな気分になる。「大きい」「キレイ」「買ってよかった」などなどの声を浴びせられる中で、親父は調整や使い方の説明をする。ザッツ・エンターテインメントである(笑)。

お茶やお菓子をごちそうになったり、ゴキゲンなマダムはお駄賃をくれたりもする。そして親父に言うのだ「いい跡取りがいて安心ねえ〜」と。結果的に親不孝な僕は、今こうしてその頃をネタにしているのだから人生なんてわからんものだ。ただ、夢や喜びを感じてもらえることが好きになったのは、12月に休む暇がないと諦めている以上に今に繋がっている恩恵だ。

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2件のコメント

  1. 散髪屋のセガレだった私も年末、大晦日は超繁忙で一家団欒はなかった口です。
    紅白観てゆく年来る年をみてても許された夜更かし。
    除夜の鐘が鳴る中、まだ客の髪をセットしている親父の背中がカッコ良く見えたもんです。
    親父は背中で語るもんだと思うが、俺は愚息たちに粋な背中を見せてやれてるだろうか。

    • そいつは電器屋より大変ですね。ただ我が家も店は11時過ぎまで開けて、電球や電池、当時は重要なヒューズやグロー球なんかもよく売れました。コンビニがなかったもので(笑)。

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