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大編集後記その七。連載特集『夢、あふれていた俺たちの時代。』赤ヘルの想い出。

2013 年 7 月 12 日 プロデューサー コメント

昨日の発売日に購入いただいた皆さん、ありがとうございます。まだ買っていない方はぜひ、書店・一部コンビニでチェックしてみてください。

連載で特集している『夢、あふれていた俺たちの時代。』はそのタイトル通り、俺たちが生まれ育った夢あふれた時代から、1年を切り取ってその年に起きた様々な現象を取り上げてお送りしている。今回は昭和50年をピックアップした。実はこの特集、今号より2回り目に入るのだ。創刊第2号より展開してきて、記憶がなんとか残る昭和46年から昭和63年まで、全部で18回掲載して前号が19号という訳だ。今回はいろいろとリニューアルを加えて、また、前回詳しく取り上げられなかったネタを掘り下げて展開することにした。このままの隔月ペースでの発刊を続けていく(月刊化も夢描いているが)とすると平成28年の5月11日発売号が最終となる。そして今悩んでいるのは、7日間しかなかった昭和64年もやりようによってはおもしろいのかなということ。加えてこのまま平成へと突入するのもありなのかもしれないななんてのも考えていたりする。そのころにはすでに平成という時代も再認識するほどの時間を経ているようにも感じるかもしれない。ちょうど3年後の7月11日発売号を、昭和64年&平成元年で受け継いで、平成10年あたりまでをランダムに抽出する手もなくはない。うむ、どうなることやら。

 

 

広島カープ

リニューアルの1つで、その年の象徴的な現象をピックアップしてトビラを作ることにした。これまでも、コマネチと千代の富士で作ったことはあるが、不定期だったのだ。今回よりはレギュラーとして定着させたいと考えている。昭和50年から僕がチョイスしたのが、ご覧のとおり古葉監督だった。

昭和40年男にとって、野球への興味は今の少年たちとは比べ物にならないほど高かった。僕にとっては、休み時間も放課後も野球で遊んだ時間がもっとも多かった。プロ野球への憧れも強く、巨人が圧倒的な人気を誇っていた頃、前年に引退した長嶋さんが監督に就任してのぞんだこのシーズンは最下位に終わった。僕は巨人ファンではなかったが、これは衝撃的なことだった。それまで巨人が優勝を逃したのはこの前年の昭和49年に初めて経験した僕らだ。生まれた年から始まったV9であり『巨人の星』世代でもあることから、絶対的な存在だった巨人軍のまさかの結果は子供心に大きな出来事として刻まれたのだ。それと同時に巻き起こった赤ヘル旋風も同じく強く刻まれたのだった。

ごくたまに、後楽園の巨人戦のチケットが手に入るとそれは大騒ぎで観に行ったものだ。昭和50年にたたまたま広島との対戦に出かけることができ、巨人側の内野席に座っているときに事件が起きた。快進撃を続ける広島の応援団が数人で、鯉のぼりを高らかに掲げて巨人側スタンドに乗り込んできたのだ。これはさすがにまずかった。巨人ファンの返り討ちにあい、警備員が駆けつけてもみ合いとなる騒ぎになったのだ。野球の応援とは暴力に発展することを知ったのだった。これは僕の昭和50年の記憶にものすごく強く残っている。同じく親父が大騒ぎした大リーガー、4番サードのデーブ・ジョンソンの記憶も強い。鳴り物入りのバットからは、快音が鳴らなかったのである。と、昭和50年の象徴としてこのカットを選んだ。

 

 

 

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