祝! 複刻盤 ―西城秀樹が目指した改革とは? 貴重な本人インタビューを掲載!

70年代、ヒデキは俺たちのヒーローだった

▲’73「 情熱の嵐」/ シカゴ、チェイスといったブラスロックの要素を導入し、振り付けもこの曲から激しさを増す。初のベストテンヒットを記録
▲’73「 ちぎれた愛」/ 初のオリコン1位獲得。ディレクターのロビー和田と歌い方について話し合い、母音を入れるアメリカ式のボイストレーニングを導入した作品
▲’74「 薔薇の鎖」/ セクシーなジャケット、スタンドマイクを使ったパフォーマンスでも話題に。作詞は雑誌『平凡』で一般公募され、膨大な数の応募数があったという

 

▲’74「 激しい恋」/ 歌番組では「クルクル」と名づけられた女性ダンサーをバックに歌い踊った。ボーカルに呼応するホーンの響きもダイナミックで、ブラック系のサウンドと秀樹のボーカルの相性のよさをみせる
▲’74「 傷だらけのローラ」/ 初期の絶唱型の完成形とも言える傑作。75年にはフランス語版も発売され、カナダのチャートで2位まで上昇した
▲’76「 君よ抱かれて熱くなれ」/ この曲からディレクターがロビー和田から元パープルシャドウズの岡村 右に。阿久 悠、三木たかしを初起用し、イメージチェンジを図った

 

▲’77「 ブーメランストリート」/ インパクトの強いサビの振り付けも含め、 これぞ秀樹でなければ成立しない唯一無二の曲。3拍子と4拍子の繰り返しという難易度の高さにも注目
▲’78 「ブーツをぬいで朝食を」/ 一夜を過ごす、という意味のタイトルで、秀樹に色気が加わった。ライターを使った振り付けは真似した子供がボヤ騒ぎを起こし中止になるエピソードも
▲’78「ブルースカイ ブルー」/ バロック調の旋律を盛り上げるブラスとストリングス。後半に待ち受ける圧巻の大サビ。詞、曲、アレンジが一体化した完成度の高さが壮大なスケールをもたらしたバラディアー秀樹の代表作

 

 
プレスリー風の衣装と華麗なスタンド使い

 日本の音楽史において、西城秀樹が70年代に収めた功績は多大なものがある。まずエンターテイメントの世界に洋楽的、ロック的な方向性を取り入れたこと。派手でセクシーなアクションと長い脚が映える衣装がそのイメージを決定づけた。初期の衣装を担当していたのは、アニカモードサロンの椎名アニカで、山本リンダのヘソ出しルックも彼女の考案である。

「デザイナーは、アメリカナイズされた雰囲気を僕の衣装に取り入れていました。初期の頃はエルヴィス・プレスリーを意識した衣装がありましたね。ディレクターのロビー和田さんも、アメリカンカルチャーを僕の世界に取り入れようと、いろんな提案をしてくれました」

 歌いながらの熱く激しいアクションも秀樹の魅力のひとつ。3作目の「チャンスは一度」から振り付けを担当した一の宮はじめがこう述懐している。「あの頃、秀樹は新御三家として売り出されることになったんだけど、郷ひろみはかわいい美少年だった。野口五郎は歌が上手かった。そこで秀樹の個性を出すためにどうしたらいいか、とみんなで思案して、情熱的でセクシーな、男性的魅力を打ち出していこう!となったんです。激しいアクションもその形で作られることになりました」

 なかでも印象深かったのは、74年2月25日に発売された「薔薇の鎖」のスタンドマイクを使ったアクション。テレビの歌番組で秀樹のパフォーマンスを見て、思わず家でほうきを使って真似した人も多いだろう。

「あれはロッド・スチュワートの真似だったんです。ロッドがフェイセズにいた頃、かまやつひろしさんと日本武道館にライブを観に行って、何であんなに高くマイクが上がるんだろうと不思議に思ったんですよ。それで、ロッドのマイクはアルミ製だとわかって、かまやつさんにお願いして特注のマイクスタンドを作ってもらったんです」

 当時は鉄製のマイクスタンドしかなかった時代、軽量なアルミ製スタンドによるマイクパフォーマンスは、その後多くのロックアーティストが取り入れるようになっていく。

 また、アーティストがビッグになるに従い、ホール公演からアリーナクラスの公演、さらにスタジアム公演へとキャパシティを拡げていくのは現在では当たり前になったが、このスタジアムコンサートを日本人ソロアーティストとして初めて開催したのも西城秀樹だった。74年8月3日、大阪球場で開催されたのが最初で、それ以降大阪球場では10年連続で公演を行い、東京・後楽園球場での公演も78年から4年連続で開催している。

「僕はウッドストックのフェスティバルが好きで、自分でも野外でステージをやってみたいと思っていたんです。クレーンで宙吊りにしたゴンドラの中で歌うというのは僕のアイデア。ただ、特に意味はなく、子供の遊びの延長みたいなもので、これをやったらお客さんはみんなビックリするんじゃないかと思ったんです」

 
(次ページへ続く → 自ら出演を直訴した『愛と誠』も爆発的人気に)

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9件のコメント

  1. 2度と現れる事の無い、超スーパースターだと、亡くなってから更に思いました。
    2世の方は超える事が出来ない、お父さん、比べられるとプレッシャーになると思いますが、これも一つの宿命だと思います。
    誇りを持って秀樹の子供として生きて行ってほしいです。

  2. 初めまして!!若い頃はカッコ良い
    ハスキーな声だけが大好きで♡ヤングマン頃からジャズや洋楽などを聴くようになり
    秀樹とは離れたいました‥でもあの日以来
    青春が甦り!!秀樹を聴きまくりYouTube巡りや当時携わってた方々のコメントやエピソード毎日が秀樹の音楽で溢れてます♪♪♪
    当時秀樹のバックバンドをしてた方も
    呟いていましたが今思えば如何に秀樹が
    自分の意思を持ち努力していたか!!
    今更だけど十代から洋楽を歌いこなし
    当たり前のように思ってたけど本当は凄い事だったのかと‥‥私も秀樹を聴きまくり同じ気持ちになってます!!秀樹〜沢山の素敵な
    曲を残してくれてありがとう!!これからも
    毎日が秀樹で溢れると思います。
    最近はカセットも時々聴いてますけど(笑)アルバム楽しみで〜〜す。

  3. 俺たち秀樹のファンは秀樹って凄いねんでと熱く語っても当の本人は
    そんなことないけどねと照れる
    デカイ秀樹、
    だからファンで
    いさせて下さい

  4. 何年経ってもカッコいい人はカッコいい
    秀樹さんは洗練されたジェントルマン
    揺るぎのない自信に満ちて✨

    • 私、昭和40年生まれのWEB担当Mも少年時代に秀樹さんに憧れておりました!
      まさに、カッコいい人はカッコいい。
      揺るぎない自信を持ち続け、改革を進めるには、数多くの努力の物語があったのでしょう。
      尊敬の念ですよね。

  5. 西城秀樹の名前は知っていても、又はヤングマン(YMCA)はもちろん知っていたとしても、西城秀樹さんの天才的な歌唱力や芸術性まで知っている人は少ないのではないかと思います。復刻版のアルバムで見直されると良いなと願っています。

    • 秀樹さんの倍音の声の魅力。
      アルバムで堪能したいですよね!!

      コメントありがとうございます。
      WEB担当M

  6. インタビュー記事の掲載ありがとうございました。ヒデキさんが今はもういないことが残念でなりません。病気などしなかったら、と思ってしまいます。
    けれど、記事を読んで、ヒデキさんの人生は短かったけれど、誰よりも熱く燃えたのだと感じることが出来ました。
    アルバム一枚ずつ楽しみます。

    • ファンのみなさまへ、西城秀樹さんの真意と功績を伝えたく、インタビューを公開させていただきました。
      アルバムで聴くと、秀樹さんの新たな魅力を発見できるので、楽しみですね!!

      コメントいただき、本当にありがとうございます。

      from WEB担当M

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