『スーパーマリオ』 7,300万円落札はナゼ?

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▲高額取引の例 その4 …「マイコンピュータテレビ C1」(シャープ/’83) 未使用品/225万1,000円

 
日本のマニアにとってこの現象は?

とても受け入れ難いですね。価値は認められる。でも自分が欲しいものが買えない価格となってしまっているわけですから。ゲーム好きって最近は集める層と遊ぶ層に分かれていて、実はバトルも巻き起こっているんです。遊ぶ方からすると、集めるだけの人に自分の楽しみを奪われたり、知っている風に語られたりしたくない。集める人からすると、自分が欲しかったものが海外に持ち出されていってしまう。今回のニュースを知った時、皆さん複雑な気持ちで過ごしていたと思います。ここまでの高額取引でなくても、オークションの履歴を見ると、ほとんどの場合は海外の方が参入されていて、“この流れは止まらない” と嘆く日本人マニアが多いというのが現実です。

 
中古ゲームの購入は投資なのか?

古いゲームのマニアの間では、高いものを購入しても、それ以上の価格で売るのはかなり難しいことなんですね。もちろん、一部は将来価値が上がるからとか、資産として持っておきたいからとかあるかもしれませんが、純粋に収集欲で集めている人の方が多いと思います。子供の頃のようにゲームをプレイする時間は取れない、今のゲームの感覚にはついていけない、でも集めるのがすごく楽しい、全部揃えたい、好きなものに囲まれて過ごしたい。

昔のお店を再現してディスプレイしている人って案外いますよ。ガラスケースに入れて当時のファミコンショップのように販売中みたいな演出をして、友達を招いて盛り上がるみたいな。そんな文化もあるんです。

それと僕にはない視点だったんですけど、とあるマニアの方と話していて新たな発見があって。「価値をみんなが認めれば、それは失われずに残る可能性が高くなる」とおっしゃっていたんです。確かにその側面はあるなと思いました。価値がないものは捨てられてしまいますし。ただ、そういう価値がないものに価値を見出すのも面白いんですけどね。

ゲーム好きって色々なタイプがいて、プレイ好きな人は、自分が楽しくて、友達と一緒にプレイするのが好き。一方、コレクターたちは、理由をつけたくなるのです。“後世に残すため” とか “博物館を運営するんだ” とか、誰かの役に立つように残すんだと。

後世に残したい気持ちはすごくわかるし、僕も博物館を作りたいと思っています。でも最近、古いゲームが好きな人とつながりたい思いは強いけど、後世のために残そうという考えは薄くなってきました。昔から未開封で取っておくとかできなくて、開けてすぐ遊びたくなっちゃうので (笑)。

収集して、情報を発信し続けてきてわかったことは、あくまで自分たちの世代が強く求めているのであって、後世の人がそうしてほしいと思っているわけではないのです。僕らは子供の頃に、おもちゃ屋、ゲームショップでパッケージのゲームを買ったという体験がすごく大きい。ゲームソフトは高かったから誕生日やクリスマスなど特別な日にしか買ってもらえないのでワクワクして楽しかったという思いがあって。だからその感覚を残したいという気持ちが強い。その時代背景を知っていたり、リアルタイムでその作品に親しんだ人は強烈な思い入れがあるんです。

ところが、今の世代は『ポケモン』『妖怪ウォッチ』『鬼滅の刃』など、自分たちの世代に流行った作品への思い入れは強いけど、歴史的なものであっても過去の作品への思い入れはそれほどではなく、何がなんでも残さなきゃという気持ちは薄い。最近のゲームはお店でパッケージを買うよりも配信が多くなってきましたし、彼らも彼らの世代のゲームを将来は残したくなるのかもしれませんが、僕らの少年時代の作品を残したいという気持ちは、若い世代からはさすがにそれほど感じられません。

でも、それでいいと思うんです。逆に未開封で集めているという方はかなりきれいな状態で保管されていると思うので、ぜひ後世に残してほしいとも思っています。一番いやなのはどっちの考えが正しいとか間違っているとかで争うことですね。
  
 
(次ページへ続く → 今回の落札者の意図は? [5/5] )

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