ふたつ目の誕生日。

今日僕は40歳になった。な~に言ってんだかと叱られそうだが、このつぶやきに付き合ってくださる方には恐縮ながらそんなバカ話をしてもよかろう。なんてったってこのコーナーは僕のつぶやきなのだから(笑)。それにね、断言できる。このふたつ目の誕生日がなかったら、世にも不思議な年齢限定雑誌『昭和40年男』は生まれていなかった。

 

中2の時にバンドを組んだ。中3の時にはギター3人、鍵盤、ドラム、ベースの6人でウッドペッカーと名乗り、お小遣いのほぼすべてを音楽に注ぎ込むようになった。ちなみにヴォーカルは、次のレパートリーとなる曲を決めると、ジャンケンして負けたヤツが担当するという恐ろしい制度だった。

 

下手くそなコピーバンドながら練習するたびに少しずつ上達していった。やがてつらかった高校受験が終わり、中学卒業を記念してライブをやろうと提案した。推進派の僕に対して、まとめ役のベーシストは自重論を展開した。もう少し完成度を上げてからと。うんなもん、当日までに上げればいいじゃんと真っ向からぶつかり、最終的にはベーシストが折れたかっこうでターゲットを中学生としての最終日となる3月31日に定め、猛練習を積み重ねたのだ。

 

締め切りというパワーが奇跡的な集中力を生むことを、強烈に体現できた。この経験はそのまま、その後の人生における生き方となった。結果的にまだまだ下手くそのままだったが、じゃあ満足のいく演奏ってのを待っていたらきっと高校を卒業してもできなかっただろう。ある区切りを設けて、そこに向かってギリギリまで努力する。それを繰り返すことで成長するし、結果的にそのスピードは上がる。分不相応だからと躊躇するよりもとにかく走れであり、この日より僕の人生はいつもその選択をするようになった。

 

お客さんがいる前で演奏して拍手を得る快感に6人は酔いしれた。そしてこの夜、溜まり場にしていたベーシスト宅に集まり、まだ酒を知らない俺たちは清涼飲料水でその興奮を話し合ったのだ。この会話によって、前述の要素に加えてさらに僕は覚醒させられた。第二の誕生日が決定づけられるのだ。

 

興奮が後押ししたのか、俺たちは誓い人生を選択した。“プロになって音楽で食おう” と。運命共同体なんだと。きゃー、青い。青いがみんな極めて真剣だった。15歳でプロの世界だけをイメージしながら向き合えたことが、前述した火事場のくそ力スピリットに加えて今につながる大きな生き方の転換だった。だってね、高校に行って勉強しなくていいんだから(笑)。母ちゃんに申し訳ないから、卒業だけを自分のマストにして音楽に集中した。

 

結果的に僕はこのバンドを、メンバーチェンジやバンド名変更などを繰り返しながら継続させた。オリジナルメンバーは20歳を過ぎた頃に僕1人になってしまったが、それ以降もしつこく続けて20代の後半まで引っ張った。今に至ってもこれをまったく後悔していないどころか、粘ったことで見えたことがたくさんある。これは、しつこい巳年男の中でもキング・オブ・スネークだと胸を張り、これもまた生き方になっている。

 

常々語ることに、音楽づくりと本づくりは共通点が多い。さまざまなタイプの曲や仕掛け、演出を入れ込んでライブの構成を考えるのは、1冊をまとめこむのと同じセンスを使う。1曲を仕上げるのも、1つの企画を作り込むのと同じアプローチだ。加えて、前述したとおり締め切りを設定して不可能を疑わず攻めることと、諦めずにしつこく継続することで得られる高い世界があることを知った。自分の生き方の大きな3本柱が、40年前の今日より僕の芯になって今もまったく変わっていないのだ。これは、5人の仲間たちがいたからに他ならず、あらためて感謝を込めてありがとう40年前の15歳のみんな!!

 

と、この日僕の中で僕が生まれたおかげで、今の仕事に一直線でつながっているのだ。♪はっぴ、ばあすでい、つう、みーなのだが、昭和50年男』が締め切りだから祝い酒は無理だな。後日スパークするぜ。さあ、作業作業!!

 

この写真は20歳くらいだと思う。最後のオリジナルメンバーのベースシスト(左) がこの後脱退してしまった。ギタリスト(右) は高2からもつれて生きた相棒で、彼の脱退が10年以上続いたバンドに終止符を打った

 

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