原田真二登場 〜大編集後記。

 

土曜日だ、週末だ。バカコロナがまたまた騒ぎになっているから、なんとなく外出しづらくなっている諸氏は『昭和40年男』最新号がぴったりだ。ビールをの〜んびり飲みながら、好きな音楽で過ごす至福の時を過ごしてはいかがだろう。そんな気にさせられる、今日も大編集後記じゃ!!

 

日本ロック元年とはなかなか刺激的なタイトルだと胸を張っている。俺たち世代にとってロックが身近に感じられた年こそが昭和53年で、それを元年と呼ぶとはまさにやりたい放題だぜ、フッフッフ。テレビから気軽にロックを楽しめる時代の到来だった。その張本人の筆頭がロック御三家と呼ばれた方々で、そのまま巻頭から登場していただいた。チャーさん、世良さん、そして表紙を飾った原田真二さんだ。各自がインタビューを受けてくださり、さらに当時の熱を思い起こしてもらっているのだからこれは貴重である。

 

原田さんといえば、『ザ・ベストテン』の20位圏内に3曲連ねた怒涛のデビューを強く記憶しているのではないか。『昭和40年男』でも大活躍するタメ年ライターで歌謡曲博士の濱口は、ノートに『ザ・ベストテン』のランキングをすべて記録しているから、こんな時に大変助かる。

 

「原田さんの3曲初ランキングはいつ?」と問うと、「昭和53年の1月26日放送で、11位『キャンディ』、13位『シャドー・ボクサー』、14位『てぃーんずぶるーす』」と返ってきた。さらにやや脱線ゲームになるが、以下続けてくれた。
「2月16日放送回が番組初の “同一アーティスト・複数曲同時ベストテン入り” で、6位に『キャンディ』、10位に『シャドー・ボクサー』、16位に「てぃーんずぶるーす」。その後3月2日まで3週にわたって2曲がベストテン入り。3月23日まで9週連続で20位以内に3曲がランキングされていました。ちなみに、3曲同時のベストテン入りは81年の寺尾 聰が初めて達成(その後84年にチェッカーズも達成)で、真二さんは2曲+20位以内に1曲でした」
とのことで、原田さんだけにとどまらず、こうしてつぶやきネタを提供してくれるのだからさすが博士である、ありがたや。

 

えーっと、なんの話だったかな。そうそう、大編集後記だ。今回の表紙に使ったカットは、多くの同世代諸氏にとってイメージとは合わないのではなかろうか。そう、彼はピアノで弾き語りをする王子様だったから、これほどロックなお姿はほとんどがご存知ないだろう。だが、彼はデビュー当時から実はロックな男だった。ただ、楽曲作りのセンスがものすごく高くて、当時のレーベル社長の吉田拓郎さんの指示もあり、デビュー当時の原田真二がパッケージされたのだ。と、そんな当時を振り返って語ってくれた記事は必見ですぞ。どっさりのビールと一緒に、さあ、今すぐ買いに行ってらっしゃーい!!

 

 

さてこれよりはさらなるPRだ。『昭和40年男』はコーラスグループの「フォレスタ」をプロデュースしていく。その第1弾動画がこれなんで、ぜひお付き合いいただきたい。曲は「宇宙戦艦ヤマト」だ。

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