夢の大カラオケ大会。

月めくりカレンダーの残りが3枚となった。いよいよラストスパートですなあ。いいお正月を迎えられるようにがんばるぞ。

昨日は尊敬する兄貴分であり、またよき友人でもある男としこたま呑んだ。互いの連れを加えての4人でさんざん大笑いして「じゃあ行くか」と、まるで決まっていることのように向かったのはカラオケボックスである。楽しいねえ、よき仲間たちと歌で盛り上がるのは。僕は下手な歌を何曲も何曲もがなり立てて、今日はノドと頭が痛かったよ。

昭和40年男のカラオケとの関係は、よくよく考えるとおもしろいね。発展の渦中にいたもの。僕がカラオケで初めて歌ったのは、多分18歳くらいのカラオケパブと呼ばれていた、サントリーの“だるま”を呑みながらだった。人前で歌うのだからそれなりの度胸が必要であったが、酒の力を借りて照れながら歌っていたっけ。まだ8トラック時代でカセットテープも使っていた。リクエストすると「続いては北村さんのリクエストですよ〜」なんて呼ばれて、小さなステージ上に立つと、歌詞本がセットされていて「では」なんて感じで歌い始める。慣れれば気分のいいもので、ちょくちょく出かけていた。初段、二段、三段と挑戦を宣言すると、今みたいな機械仕掛けの点数でなく、極めていい加減な店長の基準によって審査してくれて、合格するとそれぞれボトル1〜3本もらえる「カラオケ道場」なんて店もあったなあ。やがてレーザーディスク時代がやってきて、カラオケボックスが登場したのは20代中盤くらいだったかな。10年かからないうちに目覚ましい発展を遂げて、今の通信にまで一気に変わっていったのはやはり時代の勢いだろう。

カラオケボックスの登場は衝撃であり、うれしく受け入れた。だって、カラオケパブだとたくさんのお客さんで1台のカラオケマシーンを共有するのだから、せいぜい3曲も歌えれば上出来なところだったのが、歌い放題じゃないの。呑みに出かけると夕べのように、ほぼ必ずといっていいほどカラオケボックスに出かけるようになった。最近はみなさんやや飽きてきたのか、カラオケしない席も増えたが、僕はスナックを含めて歌えるチャンスはできるだけ逃さないようにしている(笑)。

「新しい歌知らないから」という声をよく聞いたものだが、40代半ばになると堂々と「おっさんだから、知ってるわけない」と開き直れるようになってきたでしょ? スナックで歌うとき、仕事の取引先、仲間、女性がいるいないなどなど、リクエストが微妙に異なってくるのはマナーでしょうな。まあ、僕くらいのカラオケマニアだからかもしれないが、スナックならジュリーや演歌を中心にメニューを組み、取引先とだと宴会芸に徹する。女性の歌をオリジナルキーで声をひっくり返しながら歌うと受ける。「天城越え」が18番だ。それと「デンセンマンの電線音頭」や「日本全国酒飲み音頭」も受けまっせー。昨日のように気づかいのいらない仲間とだったらノリのいい曲を中心に騒ぎまくる。そんな感じですなあ。ちなみに昨日のラストはサザンの「マンピーのGスポット」でした。
 

いつか、昭和40年男主催、大カラオケ大会をやりたい。自分たちの想い出の曲をガンガン歌えるパラダイスじゃ。カラオケボックスを5部屋くらい借りて、年齢縛りの部屋とか、ジュリールームとかってそれぞれを行き来しながら大盛り上がりにして。大きめの本部ルームでは、ひたすらノリだけを追求して、なんだか汗臭い部屋になってしまう。5時間くらいぶっ通して遊んだら気分もスッキリ、明日の活力バッチリってね。やりたいなあ。
 

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2件のコメント

  1. 今回の特集も大変面白かったです。
    小学校5年生の時にグリーンスタンプを集めて買ってもらった、天体望遠鏡で初めて月を土星を木星を見たときの感動を思い出させて頂きました。あの頃は本気で天文学者になろうと思ってましたね~。
    今はサラリーマンでさいたまに単身赴任してますけど。。。

    やりきれない事があっても、夜空を眺めて「あの光は数万光年離れた光なんだなぁ~」なんて思うと、自分のやりきれない事なんかは屁でも無いな!って思いながら、日々頑張って行くしかないですね。。

    何せ昭和40年生まれは、人生の中間管理職真っ只中ですから!

    カラオケ大会是非、実現お願いします。スパークしまくります。
    できれば土曜日が良いですね。遠方のご同輩も集まりやすいし、月曜まで中1日ありますから。。。
    最近、体力回復に1日必要になって来ました!!

    宴開催も是非お願いします!

    • ありがとうございます。そうですね、土曜日の真っ昼間から開催するのがいいでしょうね。前進します。

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