断捨離できないおっさん

いきなり脱線ゲームだ。僕は下町の電気屋に育った。当時の個人店では珍しく、松下とシャープの併売店だった。親父曰く、当時から一流と呼ばれていたメーカーと、新進の元気のいい企業を組み合わせたかったとのこと。そこで親父の目の付け所が、シャープだったのだ。ガキの頃話してくれたのは、シャープと並んでソニーとサンヨーが候補だったとのこと。ソニーを一流とせず、新進の元気なメーカーととらえたのは時代ですな。ちなみに当時は、松下と並ぶ一流というのが日立と東芝だったそうで、幸之助さんが好きだからこの選択しかなかったとのことだ。

 

僕はこの2つのメーカーによって、腹一杯の飯を食えたことになる。もちろん両親の頑張りが第一なのだが、商品力あってという意味で僕は2社に感謝の気持ちがある。なので我が家のテレビはアクオスだし、その他の家電も両社のシェアが高い。ステレオだけは裏切ってマランツ&JBLだが。

 

職場の机の上で頑張ってくれていた電卓もシャープだ。足立区で会社がスタートした日から僕の傍にいて、ハードなパンチにずっと耐えてくれていた。実はこれ、その時点ですでにお古だった。会社がスタートした時は、今も一緒に頑張っている相棒の自宅だったのだ。彼の家は事業を営んでいて、使っていないモノを色々と譲ってくれた。その1つがコイツだ。1992年からの長〜い付き合いだったが、ついに壊れた。突然のことで、数字がうまく表示できないところが次々に出てしまい、残念ながらさよならすることになった。

 

事務さんに同じサイズ感のものを新調してほしいと伝えると、うれしいことに「後継機にしました」とのことで、また再びシャープの電卓との付き合いが始まる。昔に比べれば叩く頻度は激減しているから、きっとコイツは僕が仕事生活から引退するまで机の上にいることだろう。ふと考えたのは、きっとこれよりの人生では、僕の仕事寿命より長いモノとの付き合いが多く訪れる。何歳で幕を閉じるかはまだ決めていないが、これまでの仕事人生よりも残りの方が少ないことは確実だ。この古い電卓のように、突然ダメになるような鮮やかな引退にしたい(笑)。

 

来る日も来る日も僕のハードパンチに耐えてくれたこの電卓には愛がある。つうことで、コイツはKITAMURA博物館入りさせてやろう。やれやれ、断捨離できないおっさんである。

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