大阪天王寺物語。

昭和60年4月、テレキャスターの国産コピーモデルと大きなバックをひとつ抱えて、東京発大垣行きの夜行列車に乗り込み僕は旅立った。もうちょっとムードのある旅立ちだと思っていたのに、東海道線は帰宅する酔っ払いたちを飲み込んでぎゅうぎゅうの満員状態だった。熱海でやっと座れて、だいぶ遅れて旅風情を楽しみ、やがて始まる大阪での音楽修行に胸をふくらませながら車窓を眺めていた。

 

中学から組んだバンドは、メンバーチェンジを繰り返しながらもメジャーを狙っていた。が、一度愛するメンバーから離れて自分を確認したくなった。加えて、当時自分の中でブルース熱が沸点を迎えていて、本当はシカゴに旅立ちたかったけど予算の問題で大阪になったのだ。オッサレーな東京でなく、ドロドロとした大阪でその空気を吸いながら、当時ハマりにハマっていたブルースへの熱をさらに高めたいと選んだ地だった。結果、この選択は正しかった。パンの耳や黒くなったバナナを神崎川商店街で漁り、四畳半一間の風呂なし共同トイレの部屋に住み、極めてブルースマンらしい暮らしができた。さらに写真のライブハウス、『不思議の国のアリス』を根城にして、多くのミュージシャンたちとの交流も楽しめたのだ。

 

な〜んてことを懐かしく振り返ったのは、大阪ミナミ秘密基地の仕掛け人でありプロデューサーの藤井氏から久しぶりに「大変な時世ですが、お変わりないですか?」とメッセージが入ったからだ。そう、今の状況は人恋しくさせて、友人からの久しぶりの連絡に安らぎのようなものを感じる。やりとりしながら、収束したら久しぶりの大阪秘密基地をパーっと開催しましょうとなり、天王寺あたりの昭和な呑み屋ツアーにしようとの提案を受けたのだ。

 

このキーワード、天王寺にビビビっときた僕というわけだ。天王寺界隈にあった、写真の『不思議の国のアリス』を見つけて、根城にできたことは本当にラッキーだった。それだけでなく、バンドのメンバー募集で知り合ったタメ年のコージは、自分が住む予定にしていたアパートを物置きなんだと嘘をつき、よかったらしばらく住んだらいいと家賃なしで住まわせてくれたのだ。僕は物置というのが嘘だったことをだいぶ後に知ったバカ者だ。そんないい仲間に恵まれたから、極貧暮らしなんかへっちゃらだっのさ。

 

と、近い明日には僕の第2の故郷の大阪で『天王寺秘密基地』を開催するから、みなさんどうぞお楽しみに。ちなみにこの写真を撮影したのは2012年で、閉店して売りに出されていた。もしも今もまだあったら、所有者に交渉して扉をこじ開け、ここで秘密基地をと藤井氏は企んで調べてくれたが、残念〜、駐車場になっていたとさ。

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6件のコメント

  1. はやくコロナ収束するといいですね?
    秘密基地一度参加してみたいと思っています!
    憂歌団とかは中部地方までは有名だったと思います。
    まぁ当時の中部地方は、ポプコン世代が目白押しでしたが。
    雅夢、あみん、アラジンなどなど

  2. はい!
    コロナがはねたら
    ぐでんぐでん
    十三、神崎川は如何です?

  3. 大塚まさじさんや、ディラン2nd、有山さん、キーボー、憂歌団、ウエストロードブルースバンド、花まつり、岡本さん、今から考えてもとても素晴らしい音楽活動がありましたが、関東の方はご存知なく、とても残念です。今一度光を当てて頂きたいです‼️

    • コメントありがとうございます。
      ホントに独自文化ですね。そこに憧れたんです。キーボーと有山さんの『ぼちぼちいこか』は、今もちょくちょく聴いてますよ。自分の披露宴で『大阪へ出てきてから』を歌ったアホです。

  4. スウィート・ホーム・大阪でのぐでんぐでんな企画、楽しみにしてまっせ!

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