POPEYEで学んだアメリカ〜大編集後記。

 

俺たちがティーンズロードを爆進していた頃は、雑誌のパワーが今とは比べ物にならないほど強力だった。なんせとにかく暴れていたし、新しくなけりゃクズだろっみたいな気概があった。サブカルの情報収拾の主役媒体は常に雑誌が担っていたのは、当時の編集者たちの前述のようなソウルがあったのだ。そんな魂を何発も何発も投げ入れられる時代に育った俺たちだから、今も雑誌が好きで紙媒体を愛する諸氏は多い

 

今回の特集、俺たちのアメリカでは『POPEYE』創刊について取り上げた。そのプロローグは、1年前の『Made in USA』で、昭和50年のことだったからまだまだハナタレ小僧で馴染みはないかもしれない。手がけたのは石川次郎さんで、深夜番組の『トゥナイト2』のあの御仁だと説明すればお分かりいただけるだろう。彼が今回のインタビューの主で、この伝説の1冊を作ったのちに、やはり伝説の雑誌『POPEYE』を立ち上げたのである。

 

センスのいいネーミングだ。アメリカの主に西海岸のカルチャーをガンガン日本に入れた。これを取り入れることによって、若者たちはナウでヤングになれた。その後に続くデートマニュアル本なんかも、『POPEYE』が創刊していなかったら、その隆盛はだいぶ遅れていたかもしれない。ともかく平凡出版(現・マガジンハウス)はパンチと並行させて、ヤングな男たちにとって生きる教科書会社となったのだ。

 

が、ナウでヤングでなかった僕は置いていかれた。西海岸のカラッと乾いたブルースカイな雰囲気と、僕はあまりにも異なるタイプだった。ドロドロしていて汚くてしつこい。そもそもモテないのだから『POPEYE』文化を取り入れたところで意味がなかった。てな訳で、僕には影響が薄いものの、雑誌ってのが世の中を、しかも若者文化を強く牽引したという点ではおおいに尊敬している。もしも『POPEYE』の創刊が2年遅れていたら、80年代に突入した時のあのキラキラした感じはだいぶ後にずれ込んでいただろう。と、そんな力を持った『POPEYE』の誕生背景は、俺たち世代にとっては必読である。さあ、今すぐ書店へ走れっ!!

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