タメ年スター・吉川晃司登場! 昭和60年・第36回『NHK紅白歌合戦』と共に当時のヒット曲や世相を振り返る!

国民的歌番組、「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白)は、今年令和元年の大晦日で70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手などを振り返ってみましょう。第15回目は、ついに我らがタメ年・吉川晃司が初出場!(河合奈保子さん、ごめんなさい<(_ _)> )の「昭和60年・第36回大会」です。

昭和40年男・吉川晃司が初出場

前年の1984年に『モニカ』でデビューした昭和40年男・タメ年の吉川晃司が、『にくまれそうなNEWフェイス』で白組トップバッターで登場しました。そのパフォーマンスには、当時観ていた人はさぞかし驚いたことでしょう。なんといっても番組が始まって最初の曲で、ハプニングの連続でしたから…。次の出番だった河合奈保子ちゃんは出だしを歌うことができず、ハラハラしましたね。そんなお騒がせな吉川さんですが、決して悪気はなかったようです。極度の興奮状態だったための思いがけない行動になってしまったことを後に謝罪していました。2番手のシブがき隊が歌う『スシ食いねェ!』のコミカルな歌で、ムードはガラリと変わり、ハプニング騒動も収束。ステージでフッくんが転んだのは、もともとそういう演出だったそうですね!

テレサ・テンが初出場!

そんな大騒ぎで始まったこの年の紅白ですが、紅組3番手に登場したのは台湾出身のテレサ・テン。1974年に日本でレコードデビューする以前から、シンガポール、タイ、マレーシア、香港などでも大人気のアジアのトップスターでした。アイドル的な人気だけでなく、実力も兼ね備えたテレサ・テンは、日本での2ndシングル『空港』が大ヒットして、日本レコード大賞新人賞を獲得し、アジア各国と日本を行き来しながら活躍していました。そんな彼女が、パスポート問題で国外退去させられるという悲運に見舞われることに…。その後再入国が許可されて、1983年に日本での活動を再開、1984年発売の再デビュー2作目『つぐない』、1985年『愛人』がたて続けに大ヒットして、この年の紅白初出場となりました。日本デビューから11年目のテレサ・テンの初出場は、アジアの歌姫の復帰を心待ちにしていたファンにとって、何よりもうれしい出来事だったのではないでしょうか。ご存じにように、その後も数奇な人生を歩むことになり、42歳の若さで他界したテレサ・テンですが、あの歌声は今も忘れられないという人は多いでしょう。

新御三家がひろみだけに…

日本レコード大賞を受賞した中森明菜をはじめ、歌謡界には新たな若手勢力が次々と台頭。紅白常連だった西城秀樹が落選し、かつての新御三家も、紅白出場は郷ひろみ一人だけになってしまいました。ちなみに花の〇〇トリオと言われていた桜田淳子は「女優」としてのゲスト出演、歌手としての出場は森 昌子ただ一人に。そしてトリはその森 昌子と、森 進一、話題の森&森に託されました!  翌年結婚となる二人がそれぞれ、紅組、白組の勝利を大きく左右するトリを務めたことも懐かしく思い出されます。結果は紅組優勝! 森 昌子さんの涙の勝利でしたね。

そんな昭和60年、松田聖子と神田正輝の結婚フィーバーがあったり、「スーパーマリオブラザーズ」発売でファミコンが大ブームになったり、「イッキイッキ」が流行語になったりとイケイケムードがあふれていました。そしてテレビ界ではおニャン子クラブが大人気に!後にソロデビューして活躍することになる会員番号38番や会員番号29番たちも、当時は高校生アイドル集団。そんな彼女たちが、翌年以降バブル景気の追い風に乗って新たな潮流を作っていくことになるのです。

※当時のレコードジャケットなどは、「昭和40年男」6月号増刊「俺たちの胸に刺さった昭和ソング」P34~35に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。(「昭和40年男」編集部・まつざき)

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1件のコメント

  1. 敢えて吉川君の不祥事と言わせてもらいますが…
    当方を含め、奈保子ちゃんファンは怒り大爆発!
    ただ被害者が奈保子ちゃんだったので、吉川君救われましたよねぇ。
    あれが聖子、明菜だったら、ましてやベテラン歌手だったら、
    詫びだけでは済まなかったでしょう…
    翌月の他局ヒットスタジオに、吉川君と奈保子ちゃんが同時出演した日があり、
    何もなかったように二人が笑い合っているのを見て、嫌な思い出は水に流しました。

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