伊代も今日子も16才! 昭和57年・第33回『NHK紅白歌合戦』と共に当時のヒット曲や世相を振り返る!

国民的歌番組、「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白)は、今年令和元年の大晦日で70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手などを振り返ってみましょう。第12回目は、「花の82年組」と言われたアイドルたちの豊作年、「昭和57年・第33回大会」です。

音楽市場低迷で、カバー曲多数。紅白スタイルに異変?

その年のヒット曲を披露するというのが当たり前と思われていた紅白にも、この年は他の歌手のカバー曲や、過去のヒット曲を歌う人もちらほらと。まだアイドルっぽさの残る榊原郁恵が「なごり雪」を、そろそろベテランという域に入ってきた桜田淳子は薬師丸ひろ子のヒット曲「セーラー服と機関銃」をカバー。名曲紅白と題したコンセプトではありましたが、人気歌手があえて他の人のヒット曲を歌うというところに多少の違和感を感じた人もいるのではないでしょうか。さらには、当時としてもかなりの「懐メロ」と言える、井沢八郎(工藤夕貴のお父さんですよ)の「ああ 上野駅」を西田敏行が、藤山一郎(スジャ~タ♪の人ですよ)の「影を慕いて」を森 進一が歌いました。そんな昭和の名曲は、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちにとっては懐かしく心に響いたかもしれませんね。

女性コーラスグループが大活躍。そしてついにあの人気俳優も!

紅組は、『待つわ』が年間ランキング1位の大ヒットとなった女性デュオのあみんと、女性3人コーラスグループのシュガーが「くたばっちまえ! アーメン♪」というセンセーショナルな歌詞の『ウェディング・ベル』をヒットさせともに初出場を果たしました。その美しいハーモニーは、初出場ながら彼女たちの実力を存分に感じさせてくれるものでした。対する白組は、俳優としての人気を確立していた中村雅俊が、自身の主演ドラマの挿入歌『心の色』が2年越しのヒットで、デビューシングル『ふれあい』から15作目のシングルでついに初出場を果たしました。歌手としてのキャリアは8年目という中村雅俊の意外とも言える「初出場」でした。

新御三家にも異変!

そんななか、近年白組を盛り上げているジャニーズ勢の台頭で、不動の地位を確立していたとも言える新御三家にも異変が…昭和47年から10年連続出場していた、野口五郎がこの年の紅白出場を逃したのでした。3人のなかでも、最もデビューの早かった五郎ちゃん、歌唱力もすばらしかった五郎ちゃんの落選には、ファンならずともいささか寂しさを感じるものがあったのではないでしょうか。絶大なる人気を誇った新御三家も、トシちゃん、マッチ、この年初出場のシブがき隊など、若いジャニーズ世代にその座をおびやかされる時代がついにやってきたのかと予感させる出来事でした。しかし!歌手として円熟味を増してきた新御三家には、まだまだこの先も頑張ってもらいたい、そんな思いでひろみと秀樹を見つめた人もいたことでしょう。そんなこんなで国民的番組も、新しい試みに踏み切ったものの、残念ながらこの年は視聴率70%を切ってしまいましたが、翌年以降巻き返すことはできるのでしょうか?!

ついにCD時代が幕開けの年、アイドルも百花繚乱。

1982年度(81年10月21日~82年10月20日)はその前後の年と比べても、目立って新人アイドルが活躍した年でした。松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ、早見 優、石川秀美、伊藤さやか、つちやかおり、そして中森明菜…などなど、とにかく女性アイドルがこぞってデビューし、後に「花の82年組」と言われたアイドル豊作年。翌年以降、紅白にも続々と登場することとなります。それに加えCDが初めて製品化されて、音楽業界にも変革の波が押し寄せた年でもありました。もちろん、一気にレコードがなくなったわけではなく、レコード売上を逆転するのはまだまだ先の話ですが、コンパクトディスクという新しいメディアには、そのキラキラとした見た目からして、新しい時代の幕開け、「未来」を感じたものです。当時ソニーから発売されていたCDプレーヤー1号機が16万8,000円!まだまだ高嶺の花でした…

※当時のレコードジャケットなどは、「昭和40年男」6月号増刊「俺たちの胸に刺さった昭和ソング」P28~29に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。(「昭和40年男」編集部・まつざき)

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