【YAMAHA × 昭和40年男 PRESENTS】昭和60年、夏、鈴鹿サーキット。あの日の自分を取り戻す!!

昭和60年、僕は初めて鈴鹿サーキットに足を踏み入れた。ごった返す人たちの視線は8時間を闘うライダーたちに注がれていて、暑さと熱さが重なり合った興奮を味わった。やがて夕暮れ時を迎え栄光の瞬間まで残り30分となり、トップを周回するヤマハの勝利を誰もが確信していた。その時…、あまりにも残酷な悲劇が起こったのだった。

文・構成:北村明広

結婚して子供が生まれた時に手放してしまったバイクに、最近また乗りたくなり、情報をチェックすることが増えた。ある日雑誌を立ち読みしていたら、今年の鈴鹿8耐にヤマハがテック21カラーで参戦するとの記事を見つけて、一瞬にしてあの日にフラッシュバックした僕だ。

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昭和60年7月のある日のこと。「なあ、8耐※1行かねえ?」

都内の大学に通う俺たちは、麻雀卓を囲んでこの夏の遊びを模索していた。卓が4人だからか、気が合うから卓を囲むのかどっちが先かよくわからないが、俺たち4人はよくつるんでいた。その中の1人、バイク乗りの直樹は続けた。
「兵藤が好きなヤマハのワークスチームがすげえんだよ。平(忠彦)とさ、ケニー・ロバーツ※2が組むんだ」と。

魅力的な提案だった。マンガの影響でヤマハRZ350※3を中古で手に入れて以来のヤマハ党の俺は、青い流れ星を気取っているのに、サーキットに足を運んだことがなかった。8耐がその最初になるのは魅力的だったし、俺たちバイク乗りにとって鈴鹿※4はブランドであり、聖地でもあった。ふたつ返事で行くことを決めた俺だったが、2人が渋っている。そう、彼らはバイクに乗らないのだ。
「新島にしようぜ」
「いや、今や新島じゃないみたいだよ」と、2人は夏のリゾート地でナンパがいいらしい。だが、大学もルックスもさえない俺たちだ。どうせ夜な夜な卓を囲っているに違いないと思った俺は「鈴鹿にも女の子はわんさかいるよ」と投げかけると、直樹は「レースクイーンもたまらんぜ」と追い討ちをかけ、4人の意思は統一された。

俺は親父に頼み込んでクルマを借り、木曜夜に三重県・鈴鹿へと出発した。親父の条件は他のヤツに運転させるなとのことだったから、1人で夜中の道を走り続けた。東名大垣から国道258号、23号とつないでえらく時間がかかったが、仮眠なしで8耐を超える完走だった。

※1… 夏の鈴鹿サーキットで開催される、8時間のオートバイ耐久レース。1台のマシンを2人のライダー(現在は3人まで可)が交代で走行させて競う。1978年に初開催され、80年よりル・マン24時間などを含むFIM世界耐久選手権の1つとして組み込まれ、現在ではシリーズ最終戦として開催されている
※2…1978年から83年まで、世界選手権に参戦していたヤマハのワークスライダー。過去3度のチャンピオンを獲得していて、“キング”ケニーと呼ばれた
※3… 1980年に発売され大ヒットとなったRZ250に続き翌年にリリース、ナナハンキラーと呼ばれた。『週刊少年ジャンプ』に連載された『街道レーサーGO』(’81)という作品では主役の乗るマシンで、青い流れ星との異名をとる
※4…1962年にホンダの創業者、本田宗一郎によって設立された国際サーキット

サントリーオールドに記憶が途切れた夜

鈴鹿サーキットに着くと、駐車場の臨時キャンプ場をベースにした。俺と直樹は聖地へと足を踏み入れたように感激し、アチコチを見て回ったが、あとの2人の目的は女の子だから別行動になった。そして夜、テント脇の簡易宴会場で俺は2人に責められることになった。
「なあ兵藤、女の子は多いよ。確かに多い。でもカップルばっかりじゃねーか」
「こんなんだったら、新島にしとけばよかった」と。それでもこの言葉に怒気がさほどないのは、2人とも『バリバリ伝説』の大ファンであり『あいつとララバイ』など、バイクマンガをほぼ読んでいるからだ。バイクに乗らなくとも8耐は興味対象なのである。

俺と直樹はそのツボを心得ているから、夜を徹してこの年の8耐について熱弁を振るい洗脳に努めた。平 忠彦の存在は彼らも知っているし、資生堂のTECH21のCMを見て、ライダーでなくとも男だったら誰もが憧れた。ヤツらも観た映画『汚れた英雄』※5の走りが、彼によるものだと話すと、平と『汚れた英雄』が、2人にとってシンクロしたのだった。

盛り上がったものの、俺は徹夜明けのまま流し込んだサントリーオールドにやられてしまい、翌朝、テントの外でジリジリと照りつける太陽に起こされた。あの時のこの世の終わりかのように感じたのどの渇きは、今も記憶に残っている。

土曜日は昨日の比でないほどの人でごった返した。俺たちはこれに備えて、唯一の指定席(当時)となるグランドスタンドのチケットを奮発していた。それは、史上最強チームと言えるヤマハファクトリーの優勝の瞬間を目撃したいという、俺と直樹の共通した思いからだった。新島に行くよりよっぽど安いと2人を説得して購入したチケットは、とても有意義な観戦にしてくれたのだった。とはいえ、ここだけでじっとしているほどおとなしい俺たちじゃない。各コーナーへと移動して、観戦ポイントを探そうとひたすら移動した。もちろん女の子を探すのも怠らない。昨日はカップルばかりだったが、セクシーな2人組みの女の子たちが数多く押し寄せてきて俺たちのナンパ魂に火がついた。が、かの島ほど開放的な女の子たちでない。そりゃあそうだ、レース会場だもの。それでも俺たちは獲物を追いかける狼のごとく女の子と観戦ポイントを探し続けながら、8耐の予選と4耐観戦を楽しんだ。

この日も俺たちの夜はサントリーのダルマだ。普段はレッドやせいぜいホワイトの俺たちにとっちゃ、チケットとともに大奮発なのはそれだけ8耐ってのが特別だから。この夜も4人で翌日のレース談義に花を咲かせた。それだけでない、将来の話を直樹が切り出すと俺たちは夢について深く語り合った。雀卓を囲んでの安酒で、くだらないことばかりを話し合っていた4人は、こんなに真剣に話し込んだことはない。ちょっとくすぐったい気分もしたけど、ハイティーンと決別した俺たちなんだなと、皆の話を聞きながら心を震わせていた。

長い時間をかけてここまで来たこと。周囲も同じ目的のヤツらばかりなこと。そして、明日のレースへの期待が入り交じって、かつて感じたことのない高揚感が俺たちにちょっぴり変化をもたらしたのだろう。ここに来てよかった。一生忘れられない夜と、つるんでいきたい友なんだと強く胸に刻んだ。

※5… 1982年公開。草刈正雄が演じる一匹狼のオートバイレーサーを描き、すでに巻き起こっていたバイクブームを加速させた。平 忠彦は草刈のスタントを務めた。角川春樹初監督作品

時間よ止まれ!! そう祈るほどの感動

さあ、いよいよ決勝の朝が来た。飲み物コーナーはすでに長蛇の列で、どこもかしこも人ヒトひとだ。こんなにたくさんの人が集まるイベントは生まれて初めてだし、同世代が圧倒的な数なのが強い連帯感を呼ぶ。すごいのひと言で、移動はままならず、まるで大晦日のアメ横のようだった。そのアメ横で買ったリーバイスとコンバースで来てしまった俺はひどく後悔していた。特にコンバースは、地面の熱を足の裏にビシビシ伝えてきて痛みさえ伴った。初観戦の素人丸出し状態で、ほとんどの者は短パン、Tシャツ、サンダルに着替えて観戦していた。なかには革ツナギのまま、まるで自分のライダーとしての本気度をアピールしているかのような猛者もいて、クルマで来た俺には少しうらやましくも感じた。それにしても、女の子がツナギの上半身を脱いでいる姿って、なんでこんなにセクシーなんだろう。露出度の高いレースクイーンとともに、ドキドキされられっぱなしの鈴鹿の夏だ。

15万人超を飲み込んだ鈴鹿サーキット
15万人超を飲み込んだ鈴鹿サーキットは、どの観戦ポイントも人でごった返していた

やがて決勝のスタートが近づき、マシンがスターティンググリッドに並んだ。俺はこの瞬間、グランドスタンドにいることを、大げさなことに神に感謝した。そしてこの瞬間が止まってくれればいいと思った。それほどの感動を、スタート直前の緊張のなかで味わっていた。

昭和60年7月28日、午前11時半。レースが始まった。が、ケニーが遅れる。まさかのスタート失敗で、見事に獲得したポールポジション※6は無駄になった。が、あわてることなく順位を上げていき、午後1時過ぎについにトップに立った。ライダーは平だった。そのまま順調に周回とライダー交代を重ね、2位以下を大きく引き離していく。だがホンダのワイン・ガードナー※7はあきらめず、最終スティント※8では無謀とも言える走りでケニーを追った。夕闇迫る午後6時半。ケニーから平へ最後のバトンが渡され、同じくピットインしたガードナーは、シートをパートナーの徳野に譲らず、最終ライダーとしてピットアウト。勝利への執念を見せた。
「これが8耐なんだ」と、視界が涙でゆがんだ瞬間だった。それでも平は落ち着いて周回を重ね、完璧な勝利というのを見られると俺は確信し、これは鈴鹿にいた15万6千人の観客のすべてが一緒だっただろう。が、7時前のことだった。マシンはヘアピン前でスローダウンした。何かが起こったことはわかったものの、俺たちが事実を知るまでには少し時間がかかった。

ケニー・ロバーツ
世界チャンピオンを3度獲得した“キング”ことケニー・ロバーツの参戦は、この年の話題をかっさらった
平 忠彦
当時国内では無敵を誇っていた平 忠彦。甘いルックスも相まって男たちの憧れの存在だった

※6…金曜日の予選ではホンダにトップを譲ったが、土曜日にはケニーがただ1人、2分19秒台のタイムでトップを獲得した
※7…ホンダ系のチームモリワキによって見い出され、ホンダのワークスライダーとして活躍した。この年より世界グランプリライダーとしてフル参戦中だった
※8… スタートしてピットインまでのことで、ヤマハは8時間を2人で4スティントずつを走った。ガードナーは4回目の走りを終えて給油を済ませると、ヘルメットを被って準備していた徳野にまるで「ケニーを抜いてみせる」とでも言ったかのように、ピットから飛び出して行った

スルリと逃げた完全優勝。無言のままの俺たち

ピットがざわめいていて、最後の仕事をすでに終えて優勝を確信していたケニーが、ピットロードに出て最終コーナーを見つめている。やがて平が見えた。エンジンの止まったヤマハFZR750が、最終コーナーの下りを使ってグランドスタンド前のストレートに入ってきたのだ。コントロールライン手前でマシンは止まり、平はトラブルが起こったエンジンに視線を落とした。そしてマシンを押してコントロールラインを越えた所に置き、静かにヘルメットを脱いだのだった。俺たちは無言のまま見つめていた。目の前で起こったシーンの一つひとつが自分の感情の中で激しくうごめいていた。ヤマハの完全勝利が逃げ去ったのは、残り30分だった。

ガードナーの意地が勝利をもたらしたのかもしれない。劇的なホンダの勝利と、ヤマハのリタイヤはこの世のどんな対比よりも強い真逆を俺たちに感じさせた。こうして俺たちの8耐初観戦は終わったのだった。 歓喜の表彰式に花火、レースの余韻をしばらく楽しんだ後に地獄は待っていた。これまで出くわした経験のない渋滞に、気が遠くなるほどの時間の運転を強いられた。バカども3人は熟睡してやがってムカつくものの、俺の胸には感謝の気持ちも同居していて、声には出さない「ありがとう」を繰り返した。この旅からは、言葉にできない大切な“何か”をたくさん得た気がしたのだった。

1985 鈴鹿8耐 平忠彦
エンジンが止まり、惰性と下りを使いホームストレートに戻ってきた平の無念たるはいかがなものだったろう

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時は流れた。あの日語り合った夢は現実の厳しさを知ることになったが、それぞれそこそこに生きてきた。たまに集って酒を酌み交わせば、必ず語り合う思い出があの鈴鹿8耐だ。

今読んでいる雑誌の記事に、僕はグッドアイデアを思いついた。すっかり腹の出た俺たちだけど、あの日ヤマハが逃してしまった栄光の瞬間を観に行こう。あの日のままに4人でキャンプしながらダルマを呑み、夏に立ち向かう気持ちを取り戻すのだ。

僕はこの場からヤツらに電話を入れたのだった。

※この物語はフィクションです。タメ年男たちの観戦体験や、多くの関係者からの取材で構成しました

令和元年、夏、鈴鹿サーキット、あの日の栄光を取り戻す!!

令和元年、夏、鈴鹿サーキット、あの日の栄光を取り戻す!!

悪夢の瞬間は平成を挟んで今も語り継がれている。令和元年の今年、昭和60年カラーを復活させて、つかみかけていた歓喜の瞬間を目指す。

ヤマハのエースナンバーといえば21。そして今年はYZF-R1※9誕生21周年目となる。その記念となる令和元年の鈴鹿8耐に、ヤマハはTECH21カラーを復刻させ参戦する。それにともない5月22日に都内にて記者会見を開催。会場では復刻カラーをまとったYZF-R1のアンベールが行われ、エースライダー中須賀克行選手、監督の吉川和多留などが登壇。

TECH21が鈴鹿8耐で旋風を巻き起こしていた1980〜90年代、高校生だったという監督の吉川は「TECH21が走っていた当時、私はライブで観てまさに憧れていた世代。ですからライダーとして参戦したいという気持ちがあります(笑)。冗談はさておき、中須賀選手、アレックス・ロウズ選手、マイケル・ファン・デル・マーク選手の3人のライダーは、非常にコンビネーションがよく、いいチームになっていると思います。ただし、今年はよりライバルチームも力を入れてきているので、これまで以上にマシンのセッティング、チームワークを強化して、しっかり5連覇を目指して精進していきたいと思います」

中須賀選手は「TECH21が走っていた当時は、僕はまだ幼かったので記憶にないのですが…。ただ、自分は2006年からヤマハ発動機とともにレースを戦い、そのなかでTECH21のことを諸先輩から聞きいています。またヤマハコミュニティプラザなどで車両を見る機会もあり、その歴史を知ることができました。ですから、そのカラーリングをまとったYZF-R1で戦えることは誇りに思います。今年は5連覇がかかっていますので、自分自身に負けず、しっかりと走りたいと思います。応援よろしくお願いします」と意気込みを語った。

※9…ヤマハのスポーツモデルの最高峰ブランドで、モデルチェンジを繰り返しながら現在に至る。鈴鹿8耐のベースマシン

ヤマハ発動機 鈴鹿8耐スペシャルサイト

鈴鹿8耐 ヤマハを現地で応援しよう!!

前売り券情報
  • 観戦券:大人5,700円(7月25〜28日有効)※「親子で鈴鹿8耐」キャンペーンあり。大人観戦券1枚で、子供(3歳〜高校生まで)5名を招待
  • グループチケット:3名/1万5,450円、4名/1万9,400円、5名/2万2,800円
  • 指定席(27〜28日有効。別途観戦券必要)
    V1:大人6,200円、A1:大人4,100円、B・Q・R:大人3,100円
  • パドックパス(7月26〜28日有効) 中学生以上:1万6,000円
  • ピットウォーク券(別途観戦券必要) 中学生以上:各日2,000円

※チケット代は全て税込み。

提供:ヤマハ発動機

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