【懐かしの名盤】クイーン (2/5)

ブログ特別不定期連載記事「懐かしの名盤ジャンジャカジャーン」の2枚目 (クイーンなのだが、何のアルバムかはまだナイショ) を昨日からお送りしている。この連載は音楽と密接に生きてきた昭和40年男にとっての名盤を、の独断でセレクトしていこうという記事である。

昭和53年、中学1年生の暮れに洋楽の洗礼を受けた僕は、年が明けて1月5日、お年玉を握りしめて近所のレコード店で悩みに悩んでいた (この辺のことは以前にも書いたことがある) 。生まれて初めて、自分の力でレコードを買うのだ。たくさんのレコードジャケットを眺めながらため息をついた。たったの1枚に絞らなければならない、中学1年生の胸は張り裂けそうだった。クイーンからは発売されたばかりの『ジャズ』(’78) と、年間ベストテンに2曲もぶち込んだ『世界に捧ぐ』(’77) が候補になり、ロッド・スチュワート、ジャパン、チープ・トリックなど、そのまんま『ミュージック・ライフ』の信者らしいアルバムたちと、ビリー・ジョエル、アバなどの『ダイヤトーン・ポップス・ベストテン』から仕入れた候補に加え、ビートルズ、ベイ・シティ・ローラーズ、キッスなどの以前から名前と音をなんとなくは知っていた安全パイの3方向から悩んでいたのである。確か1時間ほどが過ぎたと思う。とうとう僕は『ジャズ』をレジへと運んだ。

スッゲー興奮だった。チャリンコをぶっ飛ばして家に帰り、興奮を伝えたく親の前でジャケットを開いたのだが、これが大失敗だった。付いていたピンナップを不用意に広げると、なんと大勢のおねーちゃんたちがトップレスで自転車にまたがっているじゃないのーっ。なんとも気まずい雰囲気になり、そのピンナップを再びジャケットにしまうことができなかった。微妙な空気が流れる中、自主的に没収へとうながした格好で、そのまま居間に置き去りにしたのだった。これは泣いたが親父は喜んだかもしれない。いわば親孝行か。流れていた空気を断ち切るように “ピンナップ抜き” になったジャケットを手にステレオのある部屋へ行き、儀式の始まりである。ターンテーブルにレコードを置き針を落とした。ジジジ〜。「いぃ〜ぶらひぃ〜む」といきなり鳴り響いた中東の宗教チックサウンドになんじゃこりゃー!?とビックリ。そして次から次へと繰り広げられる楽曲たちにノックアウトだった。同時に僕は、大人の階段を上った気がした。

翌日、叔父がサンシャイン60に遊びに行こうとフラッとやってきた。飯を食い適度に酔っぱらった叔父とシティ内を歩いているとレコード店を見つけた (これも以前に書いたとおり) 。ちょっと見させてと立ち寄り、昨日の興奮のままにクイーンのジャケットを眺めていると、信じられないほどウレシかった言葉をくれた。「1枚買ってやる」と。ここで僕は不思議なことに昨日迷ったレコードたちでなく、名作『オペラ座の夜』(’75) を瞬時に差し出した。不思議な心理である。昨日までの悩みとまったく異なったのは、買ってくれるということで冒険心みたいなものが芽生えたのと、少々の後悔をしてもいいという心理があったのだろう。家に帰って『オペラ座の夜』をターンテーブルに乗せると、昨日よりも難解な曲が多く興奮は小さかったが、聴き込んでいくほどに惚れていったのである。とくにB面頭の「なうまんぞう、なうまんぞう」を繰り返すあたりは前日の「いぃ〜ぶらひぃ〜む」と、同様のショックをくれた。

長い話となったが、僕とクイーンの出会いはこんな感じで、2日間で2枚のアルバムを手に入れたのだ。学校から帰ると、ほぼ毎日2枚を聴き込んだ。同じミュージシャンのアルバムながらまったく異なる仕上がりの作品に、ロックミュージックのすばらしさを知ったのである。
 
つづく → (3/5)
 
前回 → (1/5)
 

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