あれから8年。

あの日のことがはっきりと思い起こされる。外出していた僕は、大きな揺れに対する情報が取れないままイライラしながら過ごし、やっと会社に連絡が取れたのは1時間ほどが過ぎていた。ともかく大事はないことを知り、自宅近所の居酒屋に入った。僕と同じように呑んじまえと猛者たちが集まっていて、皆さんテンションが高めだったのは経験したことのない揺れだったからだろう。どの席の方も声がでかい。この時、ここに居合わせた客たちは東北が大変になっていることを知らなかったはずだ。少なくとも僕は家に帰るまではあの惨状を知らなかった。ほろ酔い気分で家に帰り、テレビをつけるとその酔いがぶっ飛んだ。信じられない映像と情報に朝方まで付き合い、自然災害の恐ろしさと神への悪態を繰り返した夜だった。

 

あの日から8年だ。月日の流れは早いが、東北の苦しみは止まったままのところが多い。いや、むしろ8年経って悪化している方も多くいることが報道されている。生活や仕事を根底からひっくり返されて、国や地域の支援を待つものの行き届かない。これだけの大規模災害だから、行政だって必死ではあるはずだが行き届かせるのは至難である。加えて、原発問題が災害の経年変化を複雑にさせてるのも周知の通りだ。

 

できることはなんだ。まずは一人ひとりがその気持ちを持つことだろう。知ることと勇気を持って意見を発すること。そして彼の地を訪れることでも十分な復興協力だ。地域の方々とのふれあいが多ければ多いほどきっと元気になっていただける。大したことはできない我々だが、何もしないよりはほんのわずかでもいいから元気を送る意識を持ちたい。いつも気持ちに元気玉だな。

 

震災から約1ヶ月後の4月13日の気仙沼だ。『昭和40年男』誌面よりレポート記事をお届けした
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