【悲惨な戦い】トイレにまつわるエトセトラ。

昭和40年男の悲惨な戦い

昭和40年男の少年時代は、決して楽しいことばかりじゃなかった。今思えば笑っちゃうようなことでも、俺たちは真剣に悩み、戦っていた! ここではホロリと苦い“悲惨な戦いの記憶”を通じて、昭和40&50年代という時代を振り返ってみたい。

学校で″でかいほう″。それだけで笑い者になった地獄の日々!

この前、旅先で古いホテルに泊まったら、トイレにウォシュレット付いてねーの。俺のお尻デリケートだから、ウォシュレットないとダメなんだよね!ってか俺たち昭和40年男のガキの頃は、ウォシュレットなんてこの世になかった。トイレといえば和式で、運が悪いとボットンだったし。

トイレで悲惨な思い出と言えば、小学校におけるウンコ。学校のトイレでウンコをするやつはいなかった。だって「ウンコ野郎」と笑い者にされるから!

「クソしてますかあー!!」

小4の昼休み、俺は便意に耐えられず“大”トイレに駆け込んだ。ズボンを下ろしてしゃがみドバーッ! 間に合った。しかし扉の向こうにザワザワと悪ガキの気配!

「クソしてるやつがいるぞー!」
「いっぱい出ましたかー?」

うるせー! さらに上から物が降ってくる。トイレットペーパーにホースの水! 上から覗くやつもいて、ある時クラスのカッコいいやつが「ウンコする時、下は全部脱ぐ」ことを学校中に暴露され、人気が地に堕ちたこともあった。学校でウンコをすることは、人生を左右する大事件だったのだ。

中学に入っても、トイレ危機は続いた。俺は電車で通学していて、学校は駅から遠かった。朝飯を大量に食べて電車で学校へ。すると、駅から学校に向かう途中、噴火寸前の火山みたいな大便意が襲ってくる!
ある時通学路で、この世の終わりかという地獄の淵に追い込まれた。交差点を渡れば学校だ。だがしかしあゝ無情アン・ルイス、信号が赤に変わってしまった。渡った先は交番、でも車は来ない。渡ってしまえ! 案の定、赤信号で渡った俺の前に、婦警が立ちはだかった!

「信号、見えてるよね!」

うるせー、どけ!

「赤信号なのに、どうして渡るの?」

身をヨジらせる俺に、尋問を続けるドS婦警。漏らしたらテメーのせいだ。ウンコぶっかけるぞオラッ(失礼)! クソ婦警(まさに)のせいで人生終わるところだった。間に合ったけどね。がんばったよ俺。

一方、家族旅行で行った浜松のホテルで、俺は人生最初の洋式トイレに遭遇した。最初はどうしたらいいかわからなくて、正解とは逆向きに座ったり。あと便器と肌が触れ合うのになじめなくて、しばらく慣れなかった。それが今じゃ、旅先で和式にブチ当たるとガーン!って感じだけどね。仕方なくしゃがんで用を足すと、足がシビれて立ち上がれないし。昔は1日何度もしゃがんで立って、生活しながらスクワット、足腰強かったんだね日本人は。

学生時代にサークル合宿で行った千葉の内房、岩井海岸はボットン地帯。宿のトイレがすごくて、落ちたら地球の裏側まで行っちゃいそうなボットン。鼻がモゲるくらい臭くてさ。
それが宿の中にひとつだけ、水洗じゃないけど“泡の力で押し流す”トイレがあって。鼻もげボットンよりゃマシかってんで使ってみた。泡の力でウンコや紙って流せんの?って思ったら流すんだよねジワジワと。静かにゆっくり、俺が出した分身がジワジワ押されて動いていく物理の神秘。じゃあ合宿中はこのトイレを使えばいいやって思ったらさ。みんな同じこと考えてんの。そして俺がいたサークルは大所帯で、男が百人以上! 行列できちゃって、やっと俺の番が来たと思ったら。
ギャアアアアッ! 泡もさすがに百人分は流せなくて、前のやつらの置き土産が山盛りでギャアアアアアッ!!

そんなトイレ地獄も今は昔。フタも自動開閉のトイレで、今日も快適ウォシュレット生活のオイラなの。ウンコするだけで笑い者になった昔を思うと、夢のようだね。

文:カベルナリア吉田

【「昭和40年男」vol.49(2018年6月号)掲載】

昭和40年生まれの紀行ライター。普段は全国を旅して紀行文を書いている。この1月に新刊『ビジホの朝メシを語れるほど食べてみた』(ユサブル)出版したからヨロシク! 去年出した『おとなの「ひとり休日」行動計画』(WAVE出版)、『突撃! 島酒場』(イカロス出版)、『何度行っても変わらない沖縄』(林檎プロモーション)、『狙われた島』(アルファベータブックス)全部ヨロシク! 2月17日には東京・世田谷の「かなざわ珈琲」で手料理つきバレンタイントークショーやるから来てくれよな!

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