俺たちが愛する飲食店が消える日!?

先日、ピアノの調律士の仕事を目の当たりにした。耳には自信があると思っていたが、とんでもない勘違いだったことを知ることになった。職人が懸命に調整を施しているのだが、音が変わっているのか変わっていないのかさっぱりわからん。プロってのはスゲーなと感動させられた。

 

さてさて、つい先日の築地市場の閉鎖が大きく報道された。実にさまざまな騒ぎが起こったが、ともかく東京は豊洲市場と共に進むしかないのだ。次号の締め切り後には、市場双方に出かけてこようと思っている。

 

築地の閉鎖に伴って、僕が馴染みにしている寿司屋の親父が以前からぼやいていた。築地が休みの日以外は営業がなくても魚の動向を知るためだと築地に通っていた御仁だ。そんな彼がぼやいているのは、自分が買い付けている仲買いがことごとく豊洲には行かず廃業するからだ。東京にある魚自慢の小さな居酒屋や割烹、寿司屋などなどは、築地の仲買いのたちが築いた文化だと言っていいだろう。仲買い人が競り落とした魚を小分けにして飲食店に託す。プロの目で吟味した魚が、料理人たちの商売に最大限活かされているのである。その際、値付けは需給バランスが介在するが、築地仲買いのプロたちの魂は質も大きく関与するのだ。店ってのには並べなくてはならないものがある。それを知っている仲買人は、シケなどでべらぼうに高い時に儲けが出なくても料理人たちに渡す。長く商売をするためのプロ根性と言っていいだろう。

 

「豊洲で魚が手に入るかなあ」と、親父さんが弱気になるのも仕方ない。最新鋭の市場に入る資金を捻出できる業者は限られてしまう。そして危惧するのは、前述したような飲食店を支えてきたプロ根性が失せてしまうのではないかということだ。プロがプロを育てていくのでなく、資本が資本を生み出してく社会の流れのままに急速に引っ張られる。それでなくても昨今、大手の飲食チェーンは資本力をバックに大量仕入れによるスケールメリットを最大限に活用して生き残りに必至だ。東京が誇る、小さくとも腕と人情がある飲食店の多くがこの暮れまでに大きな危機を迎えるのは、どうやら間違いなしの状況のようだ。プロの技術を軽んじているように思えてならない。

 

 

  

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