玉置浩二 ~歌のワールドカップなら日本代表は俺!~

玉置浩二は昭和33年9月13日、北海道旭川生まれの59歳。まもなく還暦を迎える、類まれな才能の持ち主として知られるミュージシャンである。

この24日には、国内外の音楽ファン待望の 玉置浩二 “THE GOLD RENAISSANCE” 特別追加公演 も開催される。多忙な日々を送る、スーパー兄貴だ。

KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018「THE GOLD RENAISSANCE」特別公演/7月24日(火)東京国際フォーラム

ロックバンド「安全地帯」のボーカルとして、1982年にメジャーデビュー。翌年には、4thシングル「ワインレッドの心」が、サントリーの「赤玉パンチ」のCMソングに起用されて大ヒットし、その存在は全国に知られていった。その後も「恋の予感」「熱視線」とヒットを続け、85年の9thシングル「悲しみにさよなら」で、TBS『ザ・ベストテン』、日本テレビ『ザ・トップテン』の年間第1位に輝き、NHK紅白歌合戦初出場を果たしている。…などという説明も必要ないほど、昭和40年男ならその活躍をリアルタイムで見ている人がほとんどだろう。ずば抜けた歌唱力は誰もが知るところだが、作詞・作曲、ギター・ベース・パーカッションなどなどあらゆる楽器を演奏するマルチな才能の持ち主である。

とにかく、他のミュージシャンからのリスペクトは圧倒的! 山下達郎が「日本で最も過小評価されているミュージシャン」と言うほどで、多くの音楽関係者から「日本一歌が上手い」と言われている。その歌の上手さは本人も自負するところで、「歌のワールドカップがあったら、日本代表は俺」と言う。しかし、嫌味がないというか、本当だから異を唱える必要もない(笑)。

そんな音楽の天才だが、86年には俳優デビューもしている。87年のソロデビュー、93年の「安全地帯」活動休止、さまざまなチャリティ活動への参加、再び俳優として大河ドラマへの出演など80年代後半から90年代にかけてまさに多忙を極めていた。そんな破天荒な天才の人生は、波瀾万丈でもあった。3度の離婚、度重なる体調不良などで療養生活、「安全地帯」再活動、再休止、再々活動開始と実に目まぐるしい人生を送っていた。

唯一無二の存在感

どこかの節目で、“音楽人生” が終わってしまっていてもおかしくないような遍歴のなかで、今も第一線で活躍しているというのはやはりその “才能” ゆえなのだろう。現在も、ソロと「安全地帯」両方で活躍し、年間30本以上のライブをこなし、他アーティストへの作品提供もしている。度重なる “活動休止” も、再開時にはそのクオリティを落とすどころか、さらにパワーアップして帰ってくる。こんなアーティストが他にいただろうか? 私生活の不安定さでは、スキャンダラスな話題もありながら、そのキャラゆえか、そんなことはモノともしない復活劇。どこかつかみどころがないというか、今なにやってるんだっけ?と思わせる、その不思議な存在感。たぶん、同じミュージシャンでも真似できない何かを “持ってる” のだろう。いわゆる “普通の人” である昭和40年男が学ぶようなものはおそらく持ち合わせてはいまい。ただ一方的に憧れ、惚れるのみだ。

俺たちのアイドル、薬師丸ひろ子ちゃんと離婚する時点で、すでにそれだけで十分超人だ。ありえない…。でもその音楽性は多くの人を惹きつけてやまないことは間違いないし、人間としてやさしさにあふれる魅力を持っていることも伝わってくるのだから、近頃の言葉で言うなら “神ってる” というところだろうか。9月に60歳となる玉置だが、まだまだその魅力に限界を感じさせる気配はない。7年後、昭和40年男はそんな魅力を持った還暦の年を迎えることができるだろうか? 前述のように、この人の人生は、いろんな意味で手本にはならない気がするが、“人としての魅力” は言葉では表現できないものがある。よって、それはそれでよいことにしよう。玉置浩二を見ているとそうとしか言いようがない(笑)。

もし何かを “学ぶ” としたなら… それはきっと彼の作る、歌う、奏でる音楽から自然と伝わってくるのではないだろうか。そんな “天才兄貴” にはこれからも「安全地帯」として、ソロシンガーとして、ソングライター玉置浩二として、いろんな顔を見せて欲しい。願わくば! 2020年東京オリンピック開会式でその歌唱力を全世界同時生中継!

 

8月から始まる全国ツアーにも注目!

8月から11月にかけて全国各地で開催される『玉置浩二 CONCERT TOUR 2018 ~60’CARNATION~』ツアー日程の詳細は 玉置浩二・安全地帯OFFICIAL WEB にて!

 

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