昭和47年、俺たちピカピカの一年生。

浜松町駅の人気者、小便小僧はピカピカの一年生に変身して、春らしく花が添えられている。この後ろ姿になんとも言えない愛嬌を感じて癒されただ。多くの昭和40年男が小学校に入学したのは昭和47年のことで、希望に燃えて友達100人を目指した。46年も昔のことなんですな、怖っ。

入学して強く記憶しているのが、初めての給食の日のことだ。40人以上で同じ飯を準備して食う経験なんてなく、目の前で起こっているすべてに興奮した。記念すべき初給食のメニューは忘れちまったが、担任の先生がまず牛乳を一口よく噛んで飲めと言ったことが鮮明すぎる記憶として残っている。??? どうやって牛乳を噛むんだと思っていたところ、噛むふりでいいのだという。これが小学一年生の記憶では最も早い段階のものだ。入学式もぼんやりと記憶に残ってはいるのだが、給食でのこのシーンの鮮明さはやはり食いしん坊ゆえだろう。そうそう、ランドセルが届いた日の映像もしっかり残っている。

この46年で学校は大きく様変わりした。秘密基地のお客さんに教師の方がいて、現場の話を聞くと驚愕である。愛のムチは120%許されない。これに対して同世代の酒の席でよく話題になるのは、俺たちの教室では愛のムチが振るわれまくっていたことだ。悪さをしたら叱られ、その程度によってはムチを打たれることくらいわかっていたし、仕方ないことだった。この牛乳を噛めと言った女教師もムチが大好きで、よくバシバシとやられたものだ。でも家に帰ってそんなことを言おうものなら余計に痛い目にあうから告げるはずもない。今や親の矛先は悪さをした子供でなく教師へと向かうのだから、つくづく現代ってやつは様変わりしたものだ。

現役教師の彼に聞く学校をイメージすると、そんなの絶対にあり得ないと思うことばかりが噴出する。俺たちの時代の方が断然輝いていたと思うばかりだ。痛い目に遭わないで済むことを考えると幸せなのかもしれないが、そこに愛があったと語ると紛糾されるほどの今だ。昭和のおっさんには違和感しかない。
 

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