昭和におけるハンバーガーの衝撃。

ハイカラな食い物の象徴的な存在だと僕があげるのがハンバーガーだ。初体験は小学生の高学年だったと記憶している。町屋駅にマクドナルドができるとクラスで噂になった。同時にここら辺の猫がいなくなるとも。町屋とは僕の実家からほど近い街で、メトロ千代田線と京成線、都電荒川線が乗り入れるビッグシティ(!?)だ。噂通り駅の近くにオープンして、やがて待ち焦がれたその味を確認する日がやってきた。

ハンバーガーとシェイクとポテトのクーポンをお袋がくれたのだ。おそらく我が家が営む商売のメーカーキャンペーンのプレゼントだろう。余談ながら電気屋にはそうしたキャンペーンが多くあり、何を何台売ったら何くれるといったものだ。この日僕はクーポンを2組渡され、1組は友達におごれとの母親の指示だった。今も続く友人を誘ってワクワクしながらママチャリのペダルをこいだ。

「なんじゃこりゃー」
衝撃のうまさだった。それまで食べたことのない種類の味に感じた。ポテトもシェイクもうまいが、ハンバーガーはそれ以上の異次元級だった。初めて食ったピクルスにも強い衝撃を得て、一緒に行った友達も初めてだったから2人で感動を分かち合った。

時は流れて17歳の僕。バイト先の大学生が出勤してきて紙の包みをかじっているじゃないか。何を食っているのかと聞くとテリヤキバーガーだという。モスバーガーという名称を聞いたのはこの時が初めてで、翌日行った。
「なんじゃこりゃー」
再びのハンバーガーショックがきた。包みの中でグチャグチャになるのは美しくはないがうまい。こんな食い方があるのかと感動したセブンティーンだ。

今じゃすっかりスタンダードになった食い物の数々が、あの頃はエポックだった。ハンバーガーに限ったことでなく、味の百花繚乱時代を僕らは体験しながら成長したのだ。あーっ、幸せ。

先日、そんなことを思い出しながらモスバーガーを頬張った。普段は照れくさくて入れないハンバーガーショップにも、出張先だと勇気が出る。旅の恥はかき捨てとはよく言ったもので、おそらく10年以上ご無沙汰の味に昭和の日を重ねて喜ぶおっさんだった。

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4件のコメント

  1. 初めて食べたのは徳山のロッテリアでした。
    ハンバーガーと言う単語は知ってましたが
    母親の作る食パンにレタスとチーズとハンバーグ
    (晩ごはんの残りやイシイや丸大のハンバーグ)
    を挟んだものでした。
    それを近所の公園の土管の中で食べるのが楽しみでした。
    それよりは感動したのがシェークでした。
    どうやって作るんじゃろ?家族で悩みました、

    • ロッテリアのハンバーガーには異次元を感じなかったです。でもたまにシェイクの100円セールがあって盛り上がった記憶が今蘇りました。

  2. ハンバーガー初体験は新宿のマクドナルド2号店が開店した時でした。マックシェイクが吸い出せなかったのを覚えてます。
    次いで我が街(杉並区浜田山)に「マクドナルド」が出来ると聞いて喜び勇んで開店日に食いに行ったのですがどうも違う、何かニセモノ臭いw
    それがモスバーガーとの最初の出会いでした。(モスバーガーさんスミマセン(^^ゞ)
    で、看板商品のモスバーガーを買って見ると袋のまま食えと書いてある。「この包み紙は食えるのか?」と思いながら袋から出さずにwかぶりついて見てもどうも食えそうにないww
    仕方なく袋を開けて中身だけ食いました。
    40年以上経った今でもモスバーガーと聞くとあの包み紙の食感を思い出します。(^^;

    • ユニークな投稿ありがとうございます。それは災難でしたね(笑)。僕もバイト先の先輩を見ていなかったら同じ目にあっていたかもしれません。

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