泣いてばかりいる昭和40年男。

男は泣いてはならぬと親父は僕に言い続けた。が、ある日忠臣蔵の南部坂雪の別れのシーンで涙を流しているのを見て、心の底からビックリした。えっ、泣いてはいけないと言い続けたあの親父が。しかもテレビでとびっくり仰天したものだ。

暖簾今ならわかる。おっさんの涙腺は年月とともに弱くなる一方だ。心の振れ幅が大きくなったことも要素としては大きい。これを成長だととらえれば、泣き虫も正当化できる。例えば今年40回を数えた夏の祭典『鈴鹿8耐』でこんな横断幕に出くわした。“感謝” “伝えたい” “感動”。心が震えるキーワードがバシバシ踊っているじゃないか。そしてこの一文は装飾でないからなおさらだ。僕の周囲にいるこのビッグイベントの関係者たちの努力と愛が見え隠れする。一文を結んでいる“この大きな感動で”を、きっと成し遂げることだろうと僕の胸に突き刺った。

40年の歴史の中にはたくさんの苦労が積み重なっているはずだ。来場者が減り続ける中で迷走と思える、愚策にも感じる演出もあった。レースファンをまるで対象としないような客寄せパンダを投入して、動員だけを目指すような企画だ。ご苦労はわかるがここはサーキットだぜと僕の心が叫んでいた。それももう昔の話。ここ近年はレースファンが喜ぶコンテンツを次々に工夫を凝らして打ち込んでいて、今回の40回記念は骨太な企画をこれでもかと揃えてレースファンを呼び込んだ。

こうしたまっすぐな努力をくり返しているのを、過去の栄光にしがみついているだけだと冷ややかに語る輩がいる。ビジネスや暮らしの中のあちこちで昨今見られることだ。僕が心血注いでいる雑誌の世界も同様で、もう10年以上前から「終わっている」と言われ続けている。「勝手に言ってろ」と明日を睨みつけるばかりの僕だから、ビッグイベント40周年の美しい努力に強く勇気付けられた。それにしても4日続いた取材の会場入りの度にこの横断幕にやられたわけで、来年はお手柔らかに頼みたい。

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