52歳になっちまった。

♪またひ~とつ♪と、年齢とはまったく関係のない歌を口ずさんでいる。一昨日に誕生日を迎え、ちょうど読者さんの集い『浅草秘密基地』と重なり参加者の方々から祝ってもらって感謝感激である。

弟からのお祝いメッセージには、52歳ってもっと大人になっているはずだったと返信した。すると、うちの親父の52歳は兄ちゃんが19歳で俺は16歳で高一だったと返ってきて、鮮やかにフラッシュバックした。当時の親父は電気屋を営みながら、将来面倒を見てくれないバカ息子たちだろうと見据えて、将棋の駒の彫り師へと転身中だった。すでにボチボチ商売になり始めていた頃で、店を見ながら日夜将棋の駒を彫っていた。フラッシュバックした映像にいる親父は、今の僕に比べたらずっと大人に思える。本人はどう感じていたのだろう。今僕が思っているような感覚があったかどうかは、逝っちまったから聞きようがない。

『浅草秘密基地』のマスターは還暦を超えているが、もっとおじいちゃんをイメージしていたと笑う。まったく枯れておらず今も遊びに強い。思えば僕が26歳の時に知り合っていつも楽しい彼を追いかけてきた。50代になってもガンガン遊び、回転のいい話をする男を40代で眺めながらこんな50代になりたいと思っていた。今の僕と当時の彼はどっちの勝利だろうなんて考えたりもする。

誕生日会社にはバイクメーカーのカレンダーがかけられている。そのひとつ、ヤマハのレースカレンダーの7月は去年の鈴鹿8耐の完璧な勝利を振り返っていた。僕の誕生日は31日だから、7月の最終日曜に開催される8耐の決勝日と重なることが多く、去年がまさしくそうだった。つまりこのカレンダーを彩る写真は、去年の僕の誕生日に撮影されたものだ。うんうん、なんだかうれしいぞ。今年もパーフェクトウィンだったから、来年の7月も間違いなく一昨日の写真になるだろう。51歳最後の夜の写真が採用されるのだ。うん、なんだかうれしいぞ。

かつて人生は50年と言われていた。実際逝っちまったタメ年男も少なくない。奴らの分まで微力ながら社会に役立つように突っ走ろうと思う。50年を超えて、ラッキーにも拾った人生だぜってなキザなセリフを吐きながら奮闘したい。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

2件のコメント

  1. 日本列島ひとり旅!雲助稼業真っしぐら!でも無事帰還して家族の元へ。TZRで今でも峠攻めて青春やってるよ!

    • いいですねー。お互い青春時代でいきましょう!!

コメントは受け付けていません。