博多を愛する昭和40年男。

なんてことない風景ながら、旅の起点になる福岡空港前。ここに来ると毎度心躍り、去るときはさみしい気持ちになる
なんてことない風景ながら、旅の起点になる福岡空港前。ここに来ると毎度心躍り、去るときはさみしい気持ちになる

昨日のバイクイベントを中心にして仕事を組み、博多を満喫している今日はその最終日だ。今回はおきゅうとなるコチラの食い物に出会った。海藻(エゴノリというらしい)を使った寒天といえばいいのだろうか。博多の友人たちと呑んだ席のお通しで出てきて「これなんですか?」と問うたところ、一斉に「おきゅうと」と攻撃を受けた。まるで『ケンミンSHOW』のような展開がうれしい。まだまだ知らんことがたくさんあり、それを知ることや地域の文化ってのにふれるたびにおっさんは大喜びする。

仕事柄、ありがたいことに日本全国を渡り歩く。その僕だがもっとも愛するのは生まれ育った東京で、ソイツは裏切らない。だがもしも奪われたとしてどこに住みたいかとなれば、今のところ迷いなく博多と答える。なんてったって食い物がうまい。そのベースを今回知ることができた気がする。

渋い。渋すぎる。ラブホ街にある昭和遺産が僕らの常宿だ
渋い。渋すぎる。この昭和遺産(!?)が僕らの常宿だ

イベントの朝のことだ。常宿としているラブホ街にあるかつての連れ込み旅館で気合いを入れながら歯を磨いていた。口をすすいでいたらその水がえらくうまいじゃないか。歯磨きの刺激の上で気が付くほどうまい。歯磨きが終ってあらためて確かめるとスッゲーうまい水道水だ。僕は普段も東京水をいただいていて、昔と比べればずいぶんうまくなったことにクオリティを噛みしめている。そんな水道水ジャンキーを唸らせるうまさで、なるほどコイツがこの地のうまい料理を支えているのだとワガママな結論を引き出したのだった。暮らしの中で“普通に”浸透していることってのは、レベルを上げる最たる要素だ。

そしてやはり、この街を僕がこよなく愛するのは人の良さだ。女性はキレイでやさしくて気遣いが細やか。男たちは上っ面は男らしく胸を張るもののやさしいヤツらばかりだ。これに関してもワガママな結論は、暮らしの中に祭りの精神が解け込んでいるからだと睨んでいる。上下関係や男女のあり方など、とかく現代社会が平坦にしようとするところと祭りの世界は大きく異なる。この精神が多くの博多っこたちには幼少より叩き込まれる。うまい水で仕込まれた料理とともに僕がこの街を心より愛するのは、根底に流れる清らかなる心だろう。今回もたくさんの出会いに深く感謝するとともに、また愛が深くなった僕だ。

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