月のバトンタッチ。

4月もまたあっという間に過ぎ去っていこうとしている、本日は晦日だ。まだ編集部にこもってひたすら原稿の仕上げである校正作業を続けている。もう編集部はほとんど引き払い、最終まで小笠原と2人の作業が明日の午前中くらいまで続き、最終の調整をデザイン関連スタッフに託して、やっと髪の毛を洗える時が来るのだ(あー、バッチイ)。またね、どっさり抜けるんだよなぁ〜。見ないようにしようっと。

このひと月を振り返ると、人生の記憶にしっかりと残るであろう、すさまじい月だった。7月の晦日生まれだから、45年と9ヶ月の人生を過ごしてきたが、そのなかで、1ヶ月という単位で考えると最も激しい月だっただろうと思う。いやあ、人生なんてわからんもんですな。被災が引き金になっての業務が通常業務に加わってのことだから、必ずしもポジティブなことばかりでないが、明日で一段落打てると思えば気分は悪くない。明日の晩は久しぶりに布団で寝て、また新たな気持ちでもっと激しい月になるように始動するのである。

何があったのか? この本を隔月でいくということだけでも十分にスゴいボリュームだった。被災地に出向いて考えたことのないことを考えた。友のうれしい話に心の底から笑い喜んだ。『宴』がとても有意義な充実したものになった。徒歩の旅に出た。よくよく考えたら決算書の提出月だった(笑)。仲間との集まりで、ついつい苦しいと愚痴ってしまったその情けなさと後悔…。アレやコレや、次々と出てきてはその度に動いたのだ。

そんな個人的なこともさることながら、世の中の流れからも様々なことを感じ、考えさせられたことも、この生涯忘れられない月となった大きなファクターだ。というのは、震災の月が明けるのと同時くらいから、物事の価値判断が極端になる危険がものすごく加速した。あっ、鈍感な僕だから、今さらそんな感じなのかもしれない。その感じをわかりやすく原発の件でたとえると、闇雲にすべて悪とする者から、東電や行政にお仕着せて悪とする、また、関わった著名人や情報発信者への批判のカタチで悪とする…、etc。まあよくも悪くもいろんな価値基準があるので、そこまでならまだしも、全体的にヒステリックな感情をふりかけないといけないかのごとく、言葉が舞い踊っている。加えてスピードも大切だから、球体でものごとを見ることは効率が悪く、できるだけ平面にして切り取ってしまおうとする。だからここぞとばかりに、朝日がカウンターパンチの社説で自衛隊を讃えるなんて珍事が起こったのかもしれない。

情報や社会をめぐっての地殻変動が加速していたところに、震災を受けてそんな場合じゃないとパニックになって、月が変わった瞬間に「ここがチャンス」とばかりに、アクセルを開け始めたように思う。ここに感覚だけはついていきたいと、感性が繁忙期を迎えている。まあ、ひと言で言ってしまえば大変おもしろい…とはいえ、少しお手柔らかにお願いしたいものである。明日からの5月はどうなることやら。

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