琴奨菊の優勝に涙したい昭和40年男。

国技館でお相撲を初観戦したのは一昨年の五月場所だった。14日目の熱戦に大興奮の僕だった
国技館でお相撲を初観戦したのは一昨年の五月場所だった。14日目の熱戦に大興奮の僕だった

10年前の初場所から遠ざかっていた日本人力士の優勝が見えてきた。こう言っては大変失礼だが、琴奨菊が一敗で千秋楽を迎えるとはまさか想像していなかった。そしてもう1人、豊ノ島が二敗で追っていて優勝の可能性が残っているなんて、この展開も完全に予想外である。2人とも正々堂々の相撲が心地よく、日本人らしい力士だ。

相撲には道がつく。その精神が伴っていなければならぬが、とはいえ競技でもある。勝ちにいくのはもちろん宿命であり、星を1つでも多く獲りたいのは力士全員共通だろう。が、見る側としては相撲道と呼べるような、尊敬できる戦い方の相撲を望む。立ち合いで張ったり変化をする力士、はたいたり引いたりばかりする力士は好きになれるわけがない。だから、愚直なまでに真っすぐ前に出る琴奨菊が優勝したら、きっと僕は泣くだろう。

一昨年の五月場所で僕は国技館で初観戦した。せっかくだからと2時前に会場入りして、細い相撲取りたちのバダバタから見た(笑)。焼酎をチビチビとやりながら徐々に体の大きくなる力士たちの戦いにボルテージが上がっていく。半分も入っていなかったお客さんもやがて増えてきて歓声が大きくなっていく。幕内になるとその迫力ったらスゴく、結び近くなると観衆のボルテージもピークに達する。僕もいつの間にか大声を出していた。そしてクロージングとなる弓取り式はどこまでも美しく、クールダウンさせてくれる。

今日、国技館にいる方々がうらやましい。10年ぶりの日本人力士の優勝を、あの興奮の渦の中で見られるかもしれないのだから。朝の情報バラエティ番組では、琴奨菊が落として巴戦を見たいなんて言っていたが、僕個人としては1発で決めてもらいたいと思っている。苦労に苦労を重ねてきた尊敬すべきお相撲さんだ。豊ノ島には申し訳ないが初優勝を譲ってくれ。それに、優勝をかけた巴戦で張る相撲は見たくない…。なんて気持ちも強くある。

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1件のコメント

  1. 昭和40年は、丙午の前年になります。
    そしてこんな時代になっても大昔の迷信を信じていた頑迷で馬鹿な差別主義者がこぞって昭和40年に子供をつくりました。
    だから昭和40年生まれは飛びぬけて人口が多いのです。
    そして、そんな頑迷で馬鹿な差別主義者に育てられた子供はいったいどのような性格になるのかは明らかです。
    ただでさえ、そんな状況なのに彼ら昭和40年生まれが社会人になったのは、バブル絶頂期。
    何もしなくもて物が売れ、土地の値段が上がる時代。
    青田狩りとか言ってどんな馬鹿でも就職できた時代です。
    これも見ても日本の最低のくず世代が昭和40年生まれであることは明白です。
    日本をだめにした主原因が昭和40年生まれのくず世代です。

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