正しい居酒屋とは? 〜浪速に学ぶ〜

自分の歩んできた居酒屋道をつづっている。「五右衛門」と「まっちゃん」との
出会いで、18歳にして居酒屋道の基礎をほぼ築くことができた。こじんまりと
した居酒屋と寿司屋のカウンターをこよなく愛するスタイルである。寿司屋は
居酒屋でない? いやいや、僕にとっては居心地のよい居酒屋であるから、
長っ尻が煙たがられる高級店には行かない。いや、強がり言いました、行け
ないんだね。大衆寿司屋で安心して長っ尻を楽しむのである。無粋だがのん
びりと気持ちを休ませたいというのが1人で呑むモチベーションであり、人と
呑むときはじっくりと会話を楽しみたいから、やはりどうしても長っ尻になって
しまう。江戸っ子としてはあまり褒められたものでないのは重々わかっていて、
池波正太郎先生には生涯近づけないのである。

19歳になり僕はひととき大阪に住み、このときも居酒屋でバイトをした。選ぶ
のは大箱である。慣れているのと、シフトに融通がきくからね。ここでは大箱の
概念を、というより上野の「あいうえお」との違いを強く感じさせられた。ちょっと
話はそれるが、僕は調理場が好きでよくヘルプをさせてもらった。タイムカード
を打たないで仕込みを手伝いながら包丁さばきを習い、ピークタイムに焼き場に
入ったりした。調理場の人間はすべて正社員が原則だったから、バイト人間と
してはこの程度しか絡めないのである。でも調理を教わるのが楽しく、よく志願
したから、だんだんと覚えていき、忙しい日や急の休みが入ってしまったときに
指名してもらえるようになっていった。当然仲良くなるから呑みに連れて行って
くれるようになる。お子ちゃまな僕に人生を教えてくれた。

調理場の人間で年齢が高めの人たちの話が好きだった。少々ネガティブに
伝わるかもしれないが、人生を諦めているとよく言うのだ。こんなところで包丁を
握っている人間なんかろくなもんじゃないと自分自身を蔑んでいるような言い方
である。でも仕事が終わっての一杯を最高に楽しんでいる姿は、言ってるほど
悪く見えなかった。五右衛門に来るホステスさんやラブホテルの従業員なんか
も、同じような感じである。自分の一生なんかこんなもんだと言いながら、うまそう
に酒を呑む姿に、夢に燃える自分との共感を感じていた。今現在に至っても、僕
にはこのとき見せてくれた肩の力が抜けた人生は送れていないが、今になって
わかるのはみんな同じようなものなのだろうということ。大人ってさ。当時から
ぼんやりとそんなことを考えていて、だから呑みに連れて行ってもらい愚痴に
頷いていたのだろう。

大阪で働いたのは、これまた今はなきミナミの「へのへのもへじ」である。店名の
ノリがなんとなく「あいうえお」と共通なのがおもしろい。大箱の部類に入るだろう、
80席前後だったと記憶している。ここでも少々調理場を手伝い、やはり呑みに
連れて行ってくれた。大きな違いがあったのだ。気位がものすごく高い。「俺は
大阪の中心にある店で包丁を握っているんでよ」といったところである。確かに
「あいうえお」の調理場も板長には気位があった。それでも、昔話をよくしたもの
である。どこどこの和食屋で修行をしたとか、こんな食材を使っていたとか、さも
今がランク落ちみたいに聞かされていたのだが、それが微塵もない。板場全員が
誇りを持って仕事にあたっているのだ。これはこれでとても気持ちのよいもので
あった。

大阪は食の街で、しかも安くてうまいが基本である。大箱の居酒屋だからおいしく
なくても仕方ないという気持ちがまったくない。ただし、誤解しないでほしいのだが、
「あいうえお」がまずいものを作っていたわけでない。ただ、効率を重視しているような
ところはあったのも事実で、だから板場の人間たちの言動があったのだと思う。
「へのへのもへじ」は、これまた大きく勉強させられた居酒屋だった。加えて、大箱
だから悪いわけではないのだと、やはり今へと繋がる考えを持ったのだった。続く。

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2件のコメント

  1. 前回の「宴」で、ザ・ドアーズを歌わせていただいた遊技業界の男だスよ、編集長。昭和33年男だけどね。ごめんね。
    次回の「宴」参加させていただきます。
    今度は、アコギで歌いますよ、70’sロックをね。わお!!

    • ぜひお越しください。演奏楽しみにしています。

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