2人の70歳に考えさせられた昭和40年男。

CIMG1837-600x450先日の出張で、兵庫にあるバイクショップの『プロショップキヨ』に寄って挨拶してきた。この店の主人は、知る人ぞ知るミスターカワサキと呼ばれた男で、尊敬する清原明彦さんだ。通称キヨさんは、昭和21年の早生まれでもうすぐ70歳になる。元気そのもので豪快に笑い、深く語る。頭の回転は冴え渡っていて、今もバイクで峠を攻め込んでいるそうだ。数年前に脳トレで有名な川島教授が、バイクを趣味にしている人は脳が活性すると発表してくれたことがあり、キヨさんはまさしくそのまんまだ。とにかくキレキレの頭で次々に話題を振ってくる。ちなみに今回写真を撮り忘れてしまってこれは2年前だが、容姿もまったく変わってない。

一方でもう1人、やはり仕事で世話になった昭和20年生まれの先輩ともつい先日会った。こちらはもう完全におじいちゃんになっていて、『昭和40年男』の最新号の健康講座で取り上げた『COPD』が深刻で、この日も酸素ボンベを持ち歩いていた。病ってのは老いを加速させると残酷なほど知らされた日となった。これ以上悪化させないようにと願うばかりだ。

50代はきっとその後の人生をいろんな意味で左右する10年だろう。無茶ができなくなってきたなんて話をするタメ年もチラホラいるが、僕は残念ながらまだまだ全開である。朝まで呑むこともしばしばある。そう、思えば病気になってしまった70歳の先輩の方が、50代はバリバリだった。キヨさんは遊びそのものは豪快だったが、酒の量はあまり多くなかった。バイクに乗ってテストすることはできるだけ永く現役でいたいと、当時から太らないように気をつけていたし、実際に常に乗り込んでいた。この差だけだと断定できないが、50代の積み重ねが大きいのはこの歳になって痛いほどわかる。

さてさて、僕は父を62歳、義父を61歳で亡くしているからお2人のように生き抜くイメージはないが、今どきは70歳は早い死だととらえられる。後悔しないように節制した方がいいのだろうなんて、まったく考えていないことを書いたりして。今宵も『浅草秘密基地』でズカーンと弾けるのも予定済みなんだから。でも、ガハハと笑うことも若さを保つには効果大らしい。先日のキヨさんも、弾けるような笑いをたくさん放出していた。むしろこの努力を心がける方が僕らしいかなって、そんなもん努力でもなんでもないか(笑)。

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1件のコメント

  1. 父方祖父30才、母方祖父52才、父56才、母方伯父54才と、近親の男で還暦を迎えた人がおらず、オレもそうなんだと思いチョー刹那的に生きてきた(笑)
    が、最近母方叔父が60才を突破する快挙を成し遂げた。
    叔父の長生き(?)を喜ぶ反面、「やべぇ、オレも生きちゃうかも。何の準備もしてないぞ」と急に老後が不安になってきた今日この頃^^;

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