横綱北の湖と昭和40年男。

去年の五月場所に初めて観戦に出かけた。あの興奮は今も宝物だ
去年の五月場所に初めて観戦に出かけた。あの興奮は今も宝物だ

小学生の頃、相撲中継に興じたタメ年諸氏は少なくないはずだ。熱中したというほどでなかった僕だが、親父に付き合って毎日のようにテレビ観戦していた。パッと名前が出る力士が、横綱輪島、小結(僕の勝手なイメージ)高見山、関脇魁傑、大関貴乃花、そして岩のように強かった横綱北の湖だ。輪島との千秋楽結びには親父の興奮が理解できて、自然と拳に力が入った。あの姿が記憶に焼き付いているタメ年諸氏たちには、突然の訃報が突き刺さったことだろう。

ホンの数日前に、横綱白鵬によるまさかの猫だましに苦言を呈してくれていたから、まさかそんなに容態が悪いとは思っていなかった。この苦言はあっぱれであり、おそらく相撲ファンたちの怒りを少しはおさめてくれたのではないか。そもそも昨今の相撲のスポーツ化には辟易とすることが多い。猫だましまで飛び出したのは驚愕だが、横綱が立ち合いで変化する姿など見たくない。細かなところであるが、立ち合いの微妙な待ったや、そこに導くような姿も見られる。

もちろん競技なのだから勝ちたい気持ちはわかる。勝つために頭を使い、工夫の結果とも言えなくはない。それだけ勝負に真剣な姿勢で、執念が自然と出てしまうのだろうと擁護することはできる。逆にそれらが見られないからイマイチ上に行けない力士も多い。だがやはり、相撲は潔しの精神あっての国技だ。小柄の力士や番付が上の者に対してならわかるが、横綱大関はドッシリと構えてもらいたいものだと嘆くことが多い僕だ。

あの不祥事で離れてしまったお客さんも戻ってきている。去年初観戦したときもご覧のとおり満員御礼が出て、その内容には強く感動させられた。またぜひ行きたいと思っているが、そこには俺たちが幼少のときに見た両横綱のような存在がなければ、この人気は続かないのではないだろうか。そんな危機感を強く持ってらっしゃった北の湖理事長だった。相撲界はこの精神をキチンと受け継いでいただきたいと、切に願う。

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9件のコメント

  1. 北の湖さんは、昭和47年の小学1年からほとんどの方が高校卒業1年目の昭和60年1月まで幕内で活躍。一番自分たちの年代が多感だった時期に活躍していた力士。憎たらしくも強さの象徴だった力士でした。
    来年で、日本人が優勝しなくなって早10年。誰でもいい日本人の優勝が見たい。

    • 竹内さん、コメントありがとうございます。
      そうですか、もう10年も優勝していないのですね。寂しいなあ。ここ数日北の湖報道で言われる“強い”日本人力士が待たれます。

  2. ニュースで観てびっくりしました。
    青森県出身の自分としては若三杉(2代目若乃花)を応援していましたが、北の湖の強さはガキの目にも本物でした。負けると観客が喜ぶというのが逆にカッコよくも見えたものです。
    GUGUガンモの西郷くんはどう考えても北の湖がモデル。いつもはぶっきらぼうで横柄な態度なのに無類の潔癖症という意外性あるキャラでしたが、恐らくはご本人も土俵の憎たらしいほどの力強さとはまた違う、大相撲の伝統と格式を重んじその将来を真剣に考えていた人格者だったのだろうと思います。
    ご冥福をお祈りいたします。
    PS;力士消しゴムは一通り持っていました。麒麟児が強かったですが、ざんばら頭の長岡(後の朝汐)の印象が強く残っています。多分、また実家にスーパーカー消しゴムと一緒に残っています。(^^)

    • ひぇー、なんでこのトレンドに乗り遅れたのだろう? まったく知りません(苦笑)。

  3. 懐かしく記憶に刻まれたのは、キン消しより元祖の力士消しゴム。
    でかいけど腰高な高見山、スリムな感じの輪島や貴乃花や増位山。
    その中で安定感抜群だったのが北の湖敏満。
    消しゴムの世界も現実の相撲でも憎らしい程の強さが好きでした。
    ありがとう北の湖。

    • すみません、力士消しゴムは記憶にないです。
      でもありがとうには深く共感します。今の相撲を見ていて、きっと強さの基準にしている僕らですよね。

  4. 四横綱時代

    思い出します。
    二代目:若ノ花(若三杉から四股名改名、師匠の二子山親方の娘と結婚するも芸者に子供を産ませ離婚)
    三重ノ海(実質的初の外国人横綱)

    求む!北の湖的日本人横綱!!

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