中村あゆみさんのインタビュー。

昨日のマリーンさんに続き、今日は中村あゆみさんのインタビュー取材だった。
…が、しかーし、残念ながら僕は行けなくて副編集長の小笠原が行った(泣)。
なぜ中村あゆみさんか? 『翼の折れたエンジェル』のヒットイヤーが、連載特集である
『夢、あふれていた俺たちの時代』で取り上げている昭和60年なんですよ。
当時のミュージックシーンの空気をうかがってきたということ。あの曲の、13歳で
出会った2人が18歳でため息覚えるまでの1年ごとを紡いだ言葉が好きだったなあ。
僕たちは20歳ごろ聴いていたんだね。へーって感じ。もうちょっと前だったような
気がするのだが、いやあ歳をとると曖昧になるものですなあ。現場から帰ってきた
小笠原に聞くと、「ものすごいさばけた自然体の人でしたね。当時の大ヒットのときは
もちろんですけど、その後、歌手として復帰するまでの浮き沈みもスゴイものでしたよ。
そしてそこから、いかにして這い上がって現在に至るのか、今なぜ、歌うのか。何を
伝えたいのか…。それを赤裸々に話してくれました」だってさ。やっぱり行きたかったよ(泣)。

さてさて、次号の制作がいよいよ佳境に入っている。取材自体は今日の中村あゆみさんと
あと一本を残すのみ(って、残ってんのかよ)。各編集員たちは、数多く抱え込んだ記事の
仕上げに入っていて、もう朝も夜も夜中もなく踏ん張っているのである。今回も少々進行が
悪かったが、よく持ち直してこられたのはチームとしてのまとまりが出来てきたからなのかな。
昨日、マリーンさんからもらった言葉で、夢へと信じてと進んでいけば必ずかなう、そして
必ずいい協力者が現れると。うんうん、その通りですな。『昭和40年男』では協力者以上の
共に踏ん張る戦友としたくて、積極的に強引に暑苦しくコミュニケートしてきた。雑誌という
商品が今の時代に必要なものとするために、我々がどんな努力をすればいいのか? 
苦しい時代だから何度も問いただした。はじき出した答えは、これまでと比にならないくらいの
“情熱”をパッケージする、ということ。編集長である僕は、スタッフたちに炭をガンガンとくべて
風を送り込むことが重要な業務となる。苦しい台所事情であるから、ガソリンは買えないので
ある(笑)。そもそも、持っている燃料をお借りしているような状況なのかもしれない。だから、
いつか大きく返せるように大成功を目指しているのだ。妥協でなくつき合えるチームへと
少しずつだがいいカタチになってきた。

なにも編集として参加するでなく、取材協力していただける方や情報を提供してくれる方など、
諸々が増えていき、その情熱がパッケージできればよりすばらしいプロダクトとしてリリースする
ことができ、やはり結果として支持に繋がるはずだ。ふっふっふ。『昭和40年男』はパッケージ
ビジネスなのだよ。時代と逆行ですって? いやいや、むしろ王道ですから。
♪信じた〜、この道を、私は〜、ゆ〜くだけ〜♪
ってか。ああ、〆切前のテンションが現れてしまいましたね。

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