昭和40年男の宝物。

おいおい、なんで今日は2回もつぶやいているんだって? 今朝アップした『おら、キヨシローが好きだ!』は、じつは昨日のモノなのだ。バタバタしているところ、公開をクリックしたつもりのままで確認する間もなく会社から飛び出てしまった。前にもこんなことがあった気はするが、つくづくおっちょこちょいですな。つうわけで(!?)、今日のブログといかせていただく(笑)。

ビードロかつての宝物をきれいな状態で保存している同世代は多く、読者さんの集い各地の『秘密基地』でしばしば話題になる。『昭和40年男』の誌面に登場しているような宝物を持って来てくれたり、写真に撮ってきて解説してくれたりと、それはそれは盛り上がる。その中で話題にのぼることが多いひとつが記念切手だ。僕も小学生の頃に夢中になった。親も投資目的で次々と発売された記念切手をシートで買っては大切に保管していた。世は空前の切手ブームだったのだ。

実家の近所にあった切手と古銭の店に友達と入り浸ってはため息をついていた。せっせと金を貯めてやっと手に入れ、自分のコレクションに加えた日の幸福感たら今思い出してもワクワクしてしまう。仮面ライダーカードに始まり、プロ野球カード、そして切手にいたりその後はレコード盤と続いた僕の収集癖だが、タメ年諸氏はきっと似たような道を歩み、今も収集癖が抜けない輩も多いことだろう。

先日実家に顔を出したときに、せっせと投資した記念切手になんの価値もないとお袋がぼやいていた。僕が当時のなけなしの小遣いをぶち込んで収集した切手も、売買価格を調べると悲しくなるほど暴落していて、あの頃必死になった自分が少々かわいそうに思えてくるほどだ。

だがここは逆転の発想で、当時実現できなかったコレクションに走るというのはどうだろうか。憧れ続けた『見返り美人』と『月に雁』を手に入れて、切手趣味週間シリーズすべて揃える。当時、無理に無理を重ねて『ビードロを吹く娘』と『市川蝦蔵(僕は写楽と呼んでいた)』は買った。両方ともキズもので安売りしていたから手に入れることが出来たのだが、僕のコレクションのワンツーコンビとして君臨していた。ここにスペシャルな2枚を加えることは、小学生にとってあまりにも高い壁であり夢だった。それが大人になった今なら実現できる。次に実家に行ったときはアルバムを探すことにしよう。数知れぬ宝物を捨て去ったお袋の餌食になっていないことを願う今日だ。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

6件のコメント

  1. おお、確かそんな名前のお店でした!今は・・・さすがに無いでしょうね。

  2. たしか日暮里?の線路沿いに古銭と切手の店があったような。あと当時は何故か日本酒のフタを集めるのか流行っててあちこちの酒屋を周ってはもらっていました。変な小学生(笑)

    • 忍の後輩さんの記憶は西日暮里じゃないですか。線路沿いの坂をのぼると左側にあった、ズバリ『古仙堂(確か古銭じゃなくこっちの字だったと曖昧な記憶)』でしょう。違います?

  3. あるよ、実家に(^^)
    たいした枚数は無かったと思うが。
    今度帰ったら持って来ます(^^ゞ
    切手集めてたんだ、意外(*_*)

    • そうなんですよ浅野さん、今考えると意外な趣味に感じますよね。
      でも当時はあれもトレンドだったのです。ナウでヤングだったのです!!

コメントは受け付けていません。