あんな時代もあったよね…と、憂うなかれ。

オートバイビンゴ大会で昭和57年の『オートバイ』1月号をゲットした。なんという偶然だろう。連載企画の『夢、あふれていた俺たちの時代』は、次号で昭和57年をピックアップしているのだ。こういった偶然を、次号の成功にダブらせるのはおっさんだからかどうかは置いといて、悪い気分はしない。

『オートバイ』の1月号がちょうど発売されたばかりだから、記念撮影(!?)してみた。こんなにも厚さが違うのは驚きで、この数年後にはもっと厚くなっていたそうだ。僕が何冊か買ったのは中1で、これよりは薄かったと記憶している。まだオートバイブームの始まりの頃で、近所の兄ちゃんたちがバイクに乗っている姿をよく見かけるようになった。やけにカッコよくて憧れを抱き『オートバイ』を買って眺めていたのは、まだロックに本格的に出会う前だ。もしかしたら僕はそのままバイク一直線でレーサーになって、女の子にモテモテの人生だったかもしれない。そう考えるとロックは罪だ(笑)。

僕の会社はバイク関連の雑誌を多く展開している。始めて発行したバイク雑誌『タンデムスタイル』が2001年の春で、わりと長いこと続けてきたつもりだが、この『オートバイ』の歴史が物語るように業界ではまだ新参者扱いである。だから僕らは、こんなに厚い頃のバイク業界の好景気をしらない。90年代前半にピークを迎えた国内バイク市場は、その後ほぼ下がり続けている。が、斜陽とはいえ新参者にとってはビックマーケットだったから参入した。それは今も変わらず、変化するニーズに対して僕らのような出版や広告関連の仕事の需要はまだまだある。そこを突いていく努力が必要なのは、どんな業界でもきっと変わらず苦労があり、逆に活況な市場だとしても当然ながら苦労はあるはずだ。

いい時代を経験した先輩の愚痴を聞くことが多い。その度、逆に知らなかったから踏ん張れたのだと自分を褒めてやったりする。この先輩は、踏ん張る力が必要なことから逃げるために、過去の活況との比較で愚痴っているに過ぎないと。もろんすべての先輩がそんな訳じゃない。『オートバイ』をもっとも売った時代の編集長と懇意にさせてもらっていて、お偉いさんになった彼は今も努力を惜しまず続けていて、その姿にいつも刺激を受けている。そんな姿勢からかもしれないのが、薄くなったとはいえ『オートバイ』は今もどっこい続いていて、しかも強さは維持したままである。

過去を眺めて憂いてぼやくことほどラクなことはない。49歳はまだまだそんな歳じゃないはずですよね。

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4件のコメント

  1. 中2からハタチまで買い続けていました、オートバイ。
    今の俺に無くなっている興味や情熱があった時代を思い出すなぁ。

    • 中2からハタチとは平成乃昭和さんはヘビーユーザーだったのですね。僕はギターに興味を持った後は立ち読みさえしなくなってしまいましたよ。

  2. 2010年、バイク乗りにリターンする際、まず買った雑誌はオートバイでした。
    86年を最後にバイク情報をほとんど更新しなかったオレは、まずO誌の薄さにビックリ、コーリンの広告が無いのもビックリ(つぶれたの知らなかった^^;)、そしてずいぶん洗練された誌面になったなあ、というのが最初の感想。
    昔はもう少しとんがってたような気がしたんですよねぇ、さすがに俺サはもう無いだろうとは思ってましたが(笑)
    そんな時出会ったタンスタやU400。
    トリシティでダート走ったり、そんなの誰もやらんだろってくらい辛そうな日帰りロングツーリングとか、実際のバイクライフにはほとんど参考になりそうもないおバカな企画が最高に楽しい(^o^)
    もちろん真面目な情報はきっちりと押さえてますしね。
    タンスタのおかげでS40男の存在も知ったし、浅草にも寄らせてもらえました。
    オレと愛車を記事に載せていた頂いた事もあり、タンスタ様々だ〜(笑)
    これからもクレタさんが挑戦的なバイク雑誌を創り続けてくれる事を期待します。
    あ、モチロン昭和40年男もw

    • ca-niさん、褒め過ぎです(笑)。
      そういえば、かつてはコーリンの広告が一部のバイク雑誌をジャックしてましたね。

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