上野を愛する昭和40年男。

上野でちょっとした空き時間ができて、懐かしの街をぶらついた。小学生の頃からチャリンコに乗ってちょくちょく訪れた場所だ。小学時代は動物園や上野公園散策を楽しみ、中学時代は不忍池で釣りを楽しんだ。高校生になると激安ショップ『ユニーク』やアメ横でのファッションアイテムを調達するようになり、思春期からは知的冒険を次々に満たしてくれた。ガード下で初めて食べたレバ刺、居酒屋でのバイト、水商売のママさんたちとの酒席、寿司屋のカウンター、ツケで呑む居酒屋…などなど(なんか全部酒がらみだ・笑)、僕にとって初体験の想い出がぎっしりと詰まっている。

写真 1-1上野の居酒屋で稼いだバイト代の多くは、中古レコード店につぎ込まれた。虜になった中古レコード店のひとつが、御茶の水で今も勢力を誇る『DISK UNION』だった。ロックの名盤を探してはお金を落としたのは以前もここに書いた。そしてもうひとつが上野にあった『蓄晃堂』だ。あったとしたのは、まさか今も残っているとは思わなかったから。ここは僕の人生を変えてしまった店かもしれない…。

僕の洋楽ライフは『ダイヤトーン・ポップス・ベストテン』に始まり、やがてハードロックに目覚め、次第にストーンズをはじめとしたブルースっぽいロックへと嗜好が流れていった。どん欲に情報を入手していくと、これらのミュージシャンがリスペクトするブルースマンたちの名前が、頭に次々とインプットされていく。当時の『蓄晃堂』はブルースロックの品ぞろえがすばらしく、本物のブルースのラインナップも豊富で、ある日ついに悪魔の音楽“黒人ブルース”に手を出してしまったのである。その圧倒的な力にガツンと殴られ、メロディなんかどうだっていい。ただひたすらにパワーのみなのだと曲解してしまう。ミュージシャンを目指していたハイティーンの音楽人生にとっては致命傷を負ったようなものだ(笑)。今考えれば大バカヤローと言えるのだが、当時の自分が求めた音楽の最高峰をそこに見出してしまった。どんどん深みにはまっていき、その過程でブルースに僕の魂のすべてを捧げることになったのがライトニン・ホプキンスの『MOJO HAND』。やはりここ『蓄晃堂』で見つけた一枚でえある…なんて当時が鮮やかに蘇った。そして、当時のままに店がありうれしくなった。約束が入っていたから、レコード盤を物色するのは時間に余裕があるときの楽しみにとっておいた。

写真 5-1この道にはタイムスリップしたかのように当時の店が元気に営業している。居酒屋でバイトを始める前に応募して落とされた喫茶店『ギャラン』は、まったく当時のままの姿でそこにあった。カレーショップの『エース』もまったく変わっていないように思う。チキンとポークが400円でビーフが450円というプライスも、もしかしたら当時のままかもしれない。写真には収めなかったが、『蓄晃堂』の隣の中華料理屋『揚子江』も確か当時からあったはずだ。

30年以写真 1上の時を経て姿を変えずにある店の数々に心は踊り、当時への時間旅行をたっぷりと楽しんだ。ほんのわずかな時間だったが、近いうちに時間を作って再訪したい。その時は『エース』のカレーか『揚子江』のラーメンにするかおおいに悩むことだろう。いや、ダイエット中でずっと封印してるハシゴメシにするのもいいかもしれない。第1目標の65kgをクリアしたらご褒美とすることにしようかな。

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6件のコメント

  1. DISK UNIONもですが蓄晃堂も行った事があります。
    店頭のワゴンに激レアCDがありました。
    エースのカレーも好きですけどすぐ近くの肉の大山のカレーも好きです。

    • DJ OGIさん、ありがとうございます。
      上野に詳しいですね。肉の大山カレーとは渋いところを突かれました。あそこもおっさんにはたまらない店です。

  2. やっぱり愛すべき昭和の香りであり文化なんですよ。
    我々のカラダのベースは間違いなく昭和。
    それが残っているところに行くとシビレます。
    -_-b

    • 平成乃昭和さん、ありがとうございます。
      カラダのベースが昭和とはいい響きですね。お見事。
      上野はいいところがたくさん残っていて博物館のようですよ。

  3. 上野といえば、京成デパートがいい遊び場でした。屋上、おもちゃ売り場、地下の本屋。松坂屋や松屋とは違う、庶民派な感で。

    • ありましたね。デパートと呼ぶのがちょっと違う感じの、下町の香りがプンプンした場所でしたね。懐かしい。

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