立川談慶さん独演会。

昨日は落語ナイトだった。本誌連載ページも好評の立川談慶さんのライヴだ。
彼は『昭和40年男』の創刊号を偶然見かけて
その場で編集部にメールを打ってコンタクトを求めてきてくれた。
落語にはまったく明るくないから失礼かと思ったが、会うことにした。
立川談志さんの偉大さくらいは知っているが、寄席に行ったこともなければ
古典なんぞ誰でもが知っているようなものをほんのわずか知っている程度。
実際あった日には“たてかわ”でなくなんども“たちかわ”と言ってしまったほどだ(恥)。
ちょっと遠慮気味でありながら、やっぱりリズムよく話す彼とのファーストコンタクトは鮮烈なものであった。
以来、ねずみ講式昭和40年会を立ち上げて、武道館〜東京ドームを共に夢描いているおばかさんコンビとなった。
昨日ここで書いたような野望、大きな輪をつくることはこの出会いによって確信になり、また加速したと思う。
互いの得意技を出し合い、夢を抱き、またそれぞれの世界で妥協なくがんばる姿勢に影響し合う。
おかげで初めて寄席に出かける機会を得た。
それは衝撃的な経験で、テレビやラジオで聞いたものとは印象はまったく違っていて
彼の魅力と落語のすばらしさを知った夜だった。
ライヴのすばらしさも同時に再確認した。

さらにもうひとつ学んだものがある。それは…一人きりでつくる世界ということ。
僕の仕事はたくさんの人間が介在して成り立つ。
カメラマンやデザイナーといったわかりやすいところから、取材先などといった協力者も含めると
たとえばたった4ページをつくるのに十数名の人間が絡む仕事だ。
だが、彼の舞台はたったのひとりなのである。
演出は彼の仕草とせいぜい太鼓や照明といったくらいのもの。
音楽でいえばアコースティックギター1本で
つけっぱなしのスポットライトの中で歌い続けるといったところだろうか。
それでもギターという最高の武器を持っている。
彼の武器は扇子1本のみだから、シンプルさにかけては
ライヴ界(!?)においてもっとも武器の少ない表現かもしれない。
しかも座布団の上に縛り付けられてだ。

まずは前座を聴く。ちゃんとうまい。
話している世界の絵が見えるし、リズムだって決して悪くない。
だが真打ちというのはこういうことなんだなと残酷なほど知らされるのは
この夜の主役が登場したときだ。“圧”が違うのだ。
言葉が押したりひいたりの波のような変化を見せながら、ぐいぐいと引っ張り込んでいく。
ここぞというときの大波の強さが前座の方とはまったく違うのだ。
舞台にいる男は、たったの1人で僕たち観客を彼の紡ぎだす世界に引きずり込んでいった。
1時間半のライヴはあっという間に過ぎていき、大満足の夜となった。

ライバル。そう感じているのは僕の一方的な想いかもしれないが、
こうした刺激をそのまま本に打ち込んでいきたい。
満足して会場を後にすると、霞ヶ関に吹く冷たい風がキリッと気持ちを刺激してくれた。

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