昭和40年男の初体験。国技館へお相撲観戦に行くぞ!!

写真 2昭和40年男である僕にとってのお相撲は、お茶の間に1台しかないテレビからいつも流れていて、お爺ちゃんの丁寧な解説つきで見るものだった。そんな原風景だろうか。僕の家は商売をやっていたから親父が家に居ることも多く、よく一緒に見たものだ。北の湖、輪島の両横綱に大関貴乃花が立ち向かい、高見山に親しみを持っていた小学生時代が、僕にとっての相撲の記憶だ。中学に入るとほとんど見なくなり、一時はあんなに太ってやるスポーツが国技だということを恥ずかしく思ったこともあった。欧米のものばかりをカッコよく感じるようになり、日本古来のものを全般否定した大バカヤローな時期があったのである。若さとは愚かなもので、今考えるととても恥ずかしいが、ある意味反抗期のようなものだったと思えば合点がいく。

和のものに再び興味を持ったのは、そもそも西洋文化に憧れるキッカケとなった音楽によってだ。ある日、親父の手伝いでテレビを納品した家の主人が琴の奏者で、親父はこのバカ息子はギターを弾くんだと告げた。すると解説つきで演奏してくれ、その音色の虜になった。これを機に和のすばらしさにハマっていったのだ。否定していた期間はホンの数年で、やはり反抗期程度の短い時間だった。とはいえ、お相撲にまで興味が戻ったのは、ずいぶん後のこと。若貴時代もさほど盛り上がらず、年齢とともに少しずつだが惹かれていったのは、強い力士によってでなく、その精神世界が心地よく感じるようになったからだ。それと日本の伝統美ってヤツに強く心奪われるようになり、お相撲の美しさに少しずつ気が付いた。深夜に流している全取り組みとか、たまたまリアルタイムで見られるときは息を殺してテレビにかじり付く僕だ。

そしてついに、五月場所に出かけることになった。そのキッカケは突然訪れた。バイク関連の仕事でお世話になっている方と地方でのイベント仕事でご一緒し、思いのほか早く終わったので飲みに繰り出したときのことである。テレビで相撲中継が映し出されていて、店主ともども3人で大盛り上がりしたのだ。彼も店の主人も、にわか相撲ファンの僕なんかよりもずっと見識があり、解説を聞きながらのテレビ観戦はすごく楽しかった。しかも彼は僕が尊敬する人物で、酒を酌み交わすこと自体が至福なのだ。

そこでひらめきを言葉にした。「国技館に行きましょう」と。ちょうど五月場所の発売前だったから、これをターゲットにしようと伝えると、これまたちょうど東京出張があるとのこと。トントン拍子に話は決まっていき、国技館での相撲観戦を何度も経験しているタメ年の友人に相談を持ちかけると、両国国技館のイス席はゆったり座れるからオススメだとアドバイスをもらった。ならばせっかくの初体験、奮発したろうじゃないかとA席を申し込み見事ゲットとなったのだ。彼の出張の都合と合わせて入手したのは14日目で、千秋楽についで盛り上がる日だ。いや、もしかしたらこの日に優勝決定なんてこともあるかもしれないし、いずれにせよ好取組が多いことは間違いなしだ。初体験にふさわしいチケットを入手して、あとは当日まで予習しよう。ぜひ座布団を投げたいところだけど、どうなのだろうか。まずこの問題から解決したい。

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2件のコメント

  1. 昭和40年男の力士としては、久島海関(田子ノ浦親方)を思い出します。彼は久嶋啓太として和歌山県の新宮高校、そして日大相撲部で大活躍。大学時代の同級生としては野球の長嶋一茂、相撲の久嶋啓太が最も輝いていたと思います。
    久島海関は同じ日大出身の遠藤関以上にマスコミの注目は凄かったと思います。しかし彼は小結以上の三役にはなれず引退。プロとしては大成できず、若くして亡くなりましたが同級生としては最も記憶に残る力士でした。記事に相撲を取り上げることがありましたら、彼を取り上げて頂けたら嬉しいです。

    • ありがとうございます。相撲特集はまったくノーマークだったので、こうして書いていただいてハッとしました。
      久島海関が記憶に薄いのは、書いたとおりお相撲の世界からしばしはなれていたからで、そうした力士がきっとたくさんいる情けない僕です。

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