閉店ブルース。

世の中ホントに冷たい風が吹いているねえ。
愛する飲食店が、ここのところ3店も廃業となってしまったよ。

赤坂でさんざん世話になった、10歳下の寿司職人が
ついに自分の店を持ったのが去年の秋だった。
後輩の門出のようにも感じて、目一杯応援したつもりだ。
先月の〆切地獄に突入する直前のこと、
久しぶりにフラッと店に顔を出した(ってそれじゃあ、目一杯の応援じゃねーだろっ)。
「今日で閉めるんです」と、ビックリ仰天の一言を聞かされたのだ。
「水くさいなあ、電話の一本よこせよ」
「閉めたらご挨拶にいくつもりでした」とさ。
1年ともたずに閉店となったのは残念だが、
これからの教訓にはなったとのことだから再起に期待することとしよう。
まだまだ若いし。
問題はあと2つの閉店だ。

ひとつは下北沢にあるイタリア料理屋さんで、つい先日、18年と6ヶ月の歴史にピリオドを打った。
以前にも書いたが、ここの店主は18歳の頃から世話になった兄貴のような人だ。
「イタリアンがひと皿300円台で食える時代に、個人店はもう無理だよ」
残念だなあ。
俺が会社を始めたときとほぼ同時のスタートで、
互いに励まし合っていた仲でもあるからなおさらだ。
料理はキチンと主張があってうまいし、
店の雰囲気もレストランというよりは“呑み屋”といった風情があって、すごく好きな店だった。
ホンの数年ほど前までは、細々とはやっていけるような世の中だったと思うんですよ。
ある程度年齢がいった店主なら、そこから出てくる深みみたいなものを客が楽しむ。
いつも変わらない空気が流れる空間を愛する気持ちは、飲食店を楽しむ心の一つじゃないのかな。
「そんなお客さんいないよ」と、ピシャッ。

もうひとつもすごく悔しい。
上野で、24年間営業してきたパーだ。
昔、売れないミュージシャン時代に世話になっていた居酒屋があるのだが、
それを展開する会社が持っていた店である。利益も十分に出ていたとのこと。
しかし、オーナーの経営合理化案に巻き込まれて、この度、約四半世紀も続いた店を閉めた。
「寂しいですね。ここは青木さんが一生懸命に客を守ってきた店じゃないですか」
「うーん、まあ、寂しいよね」
俺が働いていた居酒屋とかならわかる。
安く仕入れて安く提供するというシステムの上に乗っかっただけの店だったから。
「でもここは青木さんの心に客が来ていたのに」
「ありがとう」
涙が出たよ。

容赦なく乱立する大型チェーン店や低価格店は、合理化に合理化を重ねたうえ、
資本にものをいわせて時代の変化に呼応しながら展開していく。
「武器がないものは去れ」とでも言いたげに。
生き抜いていかなければならないのも事実だ。
だから残酷なまでに世の中は変化していく。
そんな時代の中で、大切なものがどんどん失われていっている。
残念だがまだまだ序の口だろうな、このサバイバルの連鎖は。
“うまくて安い” “努力をおこたらない” “流行に敏感” な大型店ばかりが勝ち残っていき
“本物であること” “暖かいこと” “正直であること”への評価は、少しずつ基準から遠ざかっている。

なんとかしたいのう、同士たちよ。

営業最終日の青木さんと。バーは照明が暗いのお。

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