大雪でも新聞は届く。

昨今は、新聞なんかいらないという声を聞くことが多い。

「今日の朝刊に出てたあの記事だけど」との会話も、この10年で確実に減った。僕はどうしても朝にあれを開かないと気分がよくない。完全なる習慣だというのもあるが、紙を使って雑誌を作っている自分が新聞をデジタルにすることはどうも裏切り行為のように思えてしまい、ずっとつき合っている。もちろん好きだからという気持ちが大きい。あのビックサイズの誌面をめくっていくのは楽しく、目が見えているうちは続けていきたい行為だ。チラシも相変わらずたくさん入っていて、昔のように片面印刷はほとんど見られなくなったから、メモに使うようなことはすっかり無くなったが、スーパーのチラシは健在で、買い物になんか行かない男たちにさりげなく物価動向を知らせてくれる重要ツールだ。小さな頃に、チラシで折ってもらった紙飛行機や新聞で折ってもらった兜は、親父を尊敬させるに十分な技で、親子のコミュニケーションツールでもあったのはもう遠い昔の話なのだろうか。

電車のなかで、周囲を気遣いながら器用に折り曲げて読む姿はほとんど見かけなくなった。新聞同様、漫画雑誌や週刊誌なんてのも開いている人は稀で、満員電車には最適なスマホに完全に入れ替わった。ところがその電車の中刷り広告は、相変わらず週刊誌や女性誌が幅を利かせているのだから不思議である。かつて『昭和40年男』の取材で『750ライダー』の作者である石井先生に話を聞いた時、電車の網棚の上にはその日に発売された『少年チャンピオン』が数多く乗っていたとおっしゃっていた。そうそう、夜の電車に乗ればなんらかの雑誌やスポーツ新聞なんかが網棚に乗っかっていて暇つぶしになったが、これも昨今ではまず出くわすことはない。

新聞そんな紙媒体だから、経済誌などから「いずれなくなる」と言われて久しく、でもその刺激的な予想をしているのも紙媒体だったりするのはちょっと笑える。そして斜陽ながらもどっこい踏ん張っている姿も見受けられるじゃないか。『昭和40年男』はよく健闘しているし(笑)。そして先日の大雪の際も、こうしてビニールにくるまれた新聞が、キチンとポストに収まっているのが信じ難かった。もの言わぬクオリティであり、どれほど大変な配達だったかと思うと頭が下がる。しばらくビニールを破ることができず、眺めながらいろんなことを考えさせられた…、ついでにシャッターを切った(笑)。

紙媒体にまつわるネガティブな要素をあげていったらきりがない。だが、長いこと親しんできたページをめくりながら読み進めていく行為を、カンタンに捨てられるかといえばそれは難しいし、前述のとおり僕には無理だ。今後、デジタルネイティブたちが世の中を変えていくことは間違いないだろうが、僕ら世代が紙媒体から完全に離れることはないだろう。時代のグラデーションに対応しながら、デジタル表現の探求を加速させる一方で、頑なまでに守り続ける強い覚悟も必要だと考えている。

6件のコメント

  1. 紙媒体にはそれなりの存在価値があるはずなのですが、だからって旧態依然のままふんぞり返っていていい時代ではないのも間違いないのです。

  2. 紙媒体だけでなく、”板”媒体(CDさらにはレコード・・・)からも離れられないですね。^^

    それとやはり、オーディオの方も、携帯プレーヤで済ませるのでなく、
    本格的なコンポに今でも憧れています。
    あの頃(70~80年代)のオーディオ・ブームは良かったですねえ・・・。
    雑誌も面白いのいっぱいありました。
    「FMレコパル」、「サウンドレコパル」、「週間FM」・・・etc.

    またいつかオーディオの特集を組んでくださると有り難いです。

    • “板”もまさにそうですね。僕は今もオーディオとアナログ盤が宝物ですよ。特集も頑張りたいと思います。

  3. こちらでは、2月9日のサンスポ(もちろん朝刊)は、2時過ぎの配達でした。

    • ハハハ、そりゃそうですよ。うちの新聞も、アチコチで遅れたみたいです。それらをひっくるめて、努力を讃えたいなと感じた土曜の早朝でした。

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