続・台割表が完成したぞ。

近しい方々からご指摘があり、急きょ続編を書くことにした。
というのも、台割が美しいとか言われても
なにを持って美しいのか、最高傑作に近づいたのかわかんねーとのことだ。
うんうん、確かに。
詳しく解説しちゃうよー。

俺にとっての本づくりのベースは、青春をかけて(笑)取り組んだ音楽活動である。
本当に懸命になり培った精神が仕事の根底にあり、
それを持ってして才能や能力の無さをなんとかカバーして、本づくりの末席にしがみついている。
そして本づくりは1本のライヴを作り込むようなものととらえている。
(だから『This is it』は大泣きだった)
各企画が1曲単位ということですな。
いいイントロがあってサビの完成度が高く、構成にメリハリがあって…などなど
いい曲を仕上げるための要素はそれぞれの企画においても一緒。
いい写真とタイトルで冒頭にインパクトがあり、
本文はグイグイと引っ張り込むように読ませてくれ、
エンディングもバッチリと企画主旨が伝わるように、など。
まさに曲と一緒でしょ。
そんな曲同士の個性を考慮して、まずは並べていくことから台割表の作業は始まる。

そうやっていい楽曲をそろえることはもちろんだが、
野球で例えるところの4番バッターだけじゃダメなのはもちろんのこと、
強弱やメリハリ、リズムといったさまざまな要素を入れ込んで
セットリスト(曲順)を組むがごとく構成を組む。
さらにどこにおしゃべりを入れて、ドラムソロを入れて、
メンバー紹介を入れて、照明をどうするか、などの演出までも考えていく。
それらの要素を全部書き込んだ台本が台割表なのですよ。

ただし、ライヴなどと違っておもしろいのは、
現段階でそれぞれの曲(各企画ね)の完成型がつかめていないことである。
想像に基づく部分が多々あるのだ。
写真とタイトル、デザインはほぼそろっているけど、原稿が仕上がってない記事もある。
最終的に仕上がった、たった1つの企画が全体に影響を及ぼして、
ほぼ半分近くの順序を入れ替えるなんてこともある。
そんなのカンタンじゃんと思われるかもしれないが、
もう印刷に入れる直前まで仕上がっているところでページを入れ替えるというのは、
たとえばノンブルと呼ばれるページ数の表示だったり、目次を作り直したりとそれは大騒ぎになる。
俺の場合、台割段階での完成度が高いほど、そうなる可能性が高くなるのだ。
そりゃそうだ、スゲエノリノリのダンスナンバーのはずが
でき上がってみたらバラードだったとしたら…どうする?
違うダンスナンバーに差し替えるなんて余裕はないから、
バラードになってしまった曲をうまく入れ込んで構成しなおすしかない。
つまり、自然と大幅変更になってしまうのだ。
もちろん、ダンスナンバーがバラードというのは極端な表現で、
もうちょっと緻密というか繊細というか(ちょっと汗)、
実際にはタイトルのベクトルとか、写真やキャッチコピーのトーンとか、
デザインのテイストとかそんなところだよ。

各スタッフには多大なる迷惑をかけることになるが、
その魔法を実感することのできる人間なら当然燃える。
わからない者は努力をするしかなく、こればっかりは職人の世界なんだよなあ。
言葉では絶対につかまえられない。
だから、台割表に隠れた奥底が見えるスタッフに恵まれている俺の現場は幸せなのである。
「うん。絶対その方がいい」 「そうだろ、じゃあ行こうか」ってね。
かつてバイク雑誌における伝説の編集長と呑んでいるとき
 「北村さんてさあ、校了(編集が手を離すタイミング)前日でも台割いじるでしょ」
 「はい、なんでわかるんですか」
 「作品見てればわかるよ」
この日は当然、呑み過ぎちゃったのである。

少々脱線するが、先日の読者ミーティング『宴』で演奏したわずか4曲でも、
ベストになるように考えて組んでいる。

メンバー紹介などのおかずの位置や曲同士のつなぎ、
おしゃべりタイムもすべて台割表と同じように作り込んでのぞんでいるのだ。
リハーサル時間がないという制約はあったものの、その中で精一杯作り込むのが俺たちの仕事である。
それは音楽だろうが雑誌だろうが変わらない。
今の自分にできる限り、喜んでもらえる価値のあるものに仕上げるだけだ。

ご理解いただけただろうか?
現段階では最高傑作の準備が整ったというところ。
あとは、昨日も書いたとおり、すべての関わった人間たちの
エネルギーの結晶とするべくがんばるだけだ。
そして、1人でも多くの人間が俺が創った本だといえることを目指し、
俺は手がちぎれるくらいタクトを振る。
つうか、早く原稿書け。
(は〜い、がんばりまっす)

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