清原明彦さんのポルシェに乗った!!

去る10月31日に現在発売中の最新号の作業をすべて終えて、その翌日からの動きの激しいこと。どこかに出かけては大騒ぎをして、どうにもならないほどに高く積み上がってしまった案件を処理する日々だ。さらに『昭和40年男』の年末進行も重なってきて、このまま仕事納めまで激務が続く。きっと多くの昭和40年男だって同じだと思えば、歯を食いしばれるってもんさ。

〆切業を終えた直後の週末には、バイク乗りによる海岸清掃のイベントを行った。力一杯の司会進行をこなし、倒れるんじゃないかとのエネルギーを使った直後に写真のとおり、こんなご褒美をいただいたのだ。

ポルシェ

イベントにはゲストとしてプロライダーが多く駆けつけてくれる。その中の1人、ミスターカワサキと呼ばれ、黎明期のカワサキのマシン作りとレースを引っ張った清原明彦さん(通称キヨさん)所有のこのポルシェに乗せてもらい、次なるイベント会場まで送ってもらったのである。イべント翌日に、鈴鹿サーキットで行なわれる全日本ロードレース選手権の最終戦に取材にでかけることにしていた。これをキヨさんに何げなく話したところ、彼も最終戦には顔を出すと言う。そしてだったら乗っていけと、助手席に乗せていただくことになったのだ。いやあ、感動的なクルマだった。加速が鋭くて、うるさくないながら主張のあるエンジン音が心地よい。

「ええやろ、日本車の音とはやっぱりちゃうやろ」と、このクルマが大のお気に入りのキヨさんは自慢げだ。

ポルシェ2知らない人もいるだろうから説明すると、彼はカワサキのバイクの実験ライダーとして入社した。今でこそ国内4メーカーの一角を成す大メーカーだが、当時はまだまだホンダの足元にも及ばないメーカーだった。キヨさんはカワサキに18歳で入社すると、徐々に上からの信頼を得ながらキーとなるマシンのテストに打ち込こむようになっていく。そしてバイクの歴史に永遠と語り継がれるだろう名車、Z1の開発に強く関わった。実験ライダーというのは、マシンのどこをどうすればいいのかを的確につかみ、しかも技術者たちにわかる言葉にしなければならない。キヨさんは歯に衣着せぬ物言いで豪快な男との印象が強い人なのだが、一方でものすごく繊細な感性の持ち主だ。Z1を仕上げていく段階で、細かな指示を出し続けてますます上司の信頼を得ていき、技術者たちからも同様の評価を得る。超エリートたちが、不良少年(!?)の話に真剣に耳を傾け、その指示通りのマシンにするために必死になって作り込んだのだ。これが後にも続いていく、カワサキの技術者とテストライダーとの切磋琢磨の現場を作り上げたのだ。キヨさんがカワサキにいなかったらきっとカワサキは、それどころかバイクの歴史も変わっていただろう。そんな偉大な男だ。

生まれて初めて乗ったポルシェもさることながら、キヨさんが運転するポルシェだということが、僕にはたまらなくうれしかった。今も毎日のようにバイクに乗る67歳は、そんな年齢をまったく感じさせずに元気そのものであり、心から尊敬する男の1人なのだ。いろんな話を聞かせてくれながらの、静岡県から三重県までのドライブは、僕にとってまるで『夢のモーターショー』となり、イベントの疲れなんぞ吹っ飛ばす最高の時間となったのである。今日はこんな自慢話なのさっ(失礼!!)。

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