出版社として歩んだ10年。〜池中玄太を超えた〜

なんと、偶然にも次号で特集する1972年を特集しているではないか…
 

昨日は夏休み明けのお疲れのところ、浅草秘密基地に多数(!?)ご来場いただきありがとうございました。
本日より鈍行列車の旅を開始したので、Twitterにてチョクチョクつぶやいてまいります。
さて、うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、振り返りながらつづっている。

『カワサキバイクマガジン』の11号から、今に続く編集長人生がスタートした。
もうとにかく張り切って取り組んだ処女作である。
すべての見直しから始めた。
それまで横組みだった本文を縦組みに変えた。
すると当然ながら開きの方向が変わるのは、国語と算数の教科書を思い出してもらえばご理解いただけるだろう。
ロゴマークも変えて、それまでの連載企画も落とすものは落とし、すべてを一新してのぞんだのだった。

やっとこさでき上がり、98年4月1日に書店の棚にデビューした。
『ジパングツーリング』と同様に自分の本だと堂々といえるだけの作業をこなし、
編集としてたずさわり文章もたくさん書いた。
いろんなことに挑戦してのデビューとなったのだ。
やり残したところも多々あったが、当時の自分の実力が出た作品となり、
売れ行き結果を待つ日々が長く感じられた。
このデビュー作は忘れもしない75.9%という、高い実売率をマークした。
それまで60%以下でウロウロとしながら、少しずつ発行部数を減らされていただけに、
これは純粋に力が結果として出たことになる。
出版社もビックリの結果で、大変おいしい酒をおごってくれた。
その後も快進撃を続け、手前味噌であるが前編集部時代の約3倍の部数にまで延ばした。

だが困ったことに、ものすごく太ってしまった。
夜中に食う。
たぶんストレスとかもあると思うがたくさん食う。
ラーメンをすすって牛丼大盛りとか毎日平気でやっていたのだ。
しかも1日4食生活となり、15kgの脂肪を半年でため込んだ。
人生で初めて、池中玄太を越えた瞬間だった。

続くよーん

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