昭和40年男には蕎麦屋呑みが似合う。

十和田「いやあ、日本人でよかった」「大人っていいよね」

「至福ってこういうことだな」

つい先日、幼なじみの昭和40年男3人が集い、うまい天ぷらを揚げる“蕎麦屋”に行こうとなり、舌鼓を乱打しまくったのだった。

1人は小学生からの、もうひとりは高校時代からの悪友で、チョクチョクつるんでいたが20歳頃からまったく会わなくなり、そのまま長い時間が過ぎていた。悲しいことに共通の友人の死によって数年前に再会し、以前にも増して頻繁につるむようになったのだ。その間になにがあったのかの擦り合わせには、3人ともさほど興味がないようでとくに話題にあがることはない。高校時代のバカっぷりや、最近や将来についての話題でいつも大笑いとなる。なにはともあれ、持つべきものはいい友である。

うまい蕎麦屋は、最高の肴を供する居酒屋でもある。甘みの強い卵焼き(僕は苦手だが)や板ワサ、さっくりと揚がった天ぷらなどなど、どれもこれも酒に会う。本来ならば粋人を気取って日本酒といきたいところだが、痛風が気になる僕は蕎麦焼酎のそば湯割りをいただくことにしている。
「蕎麦は体にいいから、このそば湯割りは呑みすぎたって体にいいんだ」とは、バカな酒呑み特有のあきれたセリフだな。かつて親父が焼酎の牛乳割りなる、今考えるととんでもなく気持ちの悪い割り方で呑みながらまったく同じセリフを吐いていたっけ(笑)。

穴子とメゴチの天ぷらを頬張って、泣きそうになる正真正銘のおっさん3人である。そして冒頭のセリフがついしみじみと出たのだった。他にも茄子の揚げ出しやカツ煮など、どれもこれもいい出汁により最高の味付けになっていて、これぞジャパンだと唸り続けている。互いに年齢のことを口に出さないものの、味の嗜好がずいぶんと変わったものだと確認しあっていた。

かつて親父の好みを見ながら、昔の人だからこうした日本の出汁系の料理が好きなんだと信じていた。まだ洋食文化が発達していなくて、加えて戦後の幼少時はろくに食べるものにありつけなかったから、小食で油はあまり得意でないのだと。里芋の煮っ転がしをうまいと頬張る親父の気持ちなんかさっぱりわからなかったのに、ちゃんと大人の舌に成長するものだ。今じゃラーメンにはほとんど興味がなく、ほぼ毎日一食は蕎麦をいただいている。しかも、かけやもりが大好きなのは、3人でバカばかりしていた高校時代には絶対に考えられないことだった。それとうまいものを食いながら「大人がいい」なんてセリフが出てくるとは。タイムマシーンがあったらバカモノ3人に言うのだ。
「3人ともいい大人になるから、そのまんま大暴れの10代でいいんだぞ」ってか。

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