「上を向いて歩こう」が、昭和女の胸に響き渡った。

先日、お袋と義母を食事に連れ出した。女が酒を呑むことははしたないとされた昭和女2人は酒が強くないから、料理のうまい店やこれまでの人生であまり経験の無いユニークな場所に連れ出すようにしている。親父2人が早くに逝ってしまったから、その分を込めての親孝行だ。なんて偉そうに年に1〜2度程度なのだが、毎度喜んでくれる。

今回は、今年まだ食っていなかったウナギを奮発した。ホントに高くなって食卓にも外食でも遠のいているが、年に1度くらいはあの素晴らしき味にふれようと出かけた。まずはうなぎ以外のつまみをいただいてじっくりと一杯呑りたいのに、昭和女2人は腹が減っているうちに早くうな重を食わせろと言う。酒をうまく呑もうなんて意識はほとんど無く、食事をおいしくいただくことがプライオリティである。ビールをチビリチビリと呑みながら、うな重も同じくチビリチビリと箸を運び、僕が少しでも喜ばせようと懸命になってセレクトしたつまみにはほとんど手をつけず、女房と息子を加えた3人で酒をガバガバ呑みながら平らげ、肝心のうな重は1つを分け合うはめになってしまった。これだから昭和女は困る。だがある程度は予想していたから、僕は当初よりカラオケボックスに連れて行ってやろうと画策していた。2人ともボックスは初めての経験で、これぞユニークな場所なのである。お袋は電器屋時代にメーカー招待旅行で1度だけ歌ったそうだ。その際に、親父から人前では歌わない方がいいと言われて以来、それを頑に守ってきた。義母はカラオケはまったく歌ったことがないとのことだった。

上を向いて歩こう部屋に入ると、へーっと感心しながら喜んでいる昭和女2人だ。彼女らが知らない歌を歌ってはならないとの縛りで、家族対抗歌合戦はスタートした。『男はつらいよ/渥美清』『どうにもとまらない/山本リンダ』『天城越え/石川さゆり』『三百六十五歩のマーチ/水前寺清子』『川の流れのように/美空ひばり』『シクラメンのかほり』などなど、息子はかなり苦戦気味だったが、僕ら夫婦は楽勝で、いや、むしろこの縛りは楽しかった。そしてもっとも受けた曲が九ちゃんの『上を向いて歩こう』である。僕らが生まれる以前の曲ながら、素晴らしい完成度の歌であることを再確認しながらみんなでマイクを回した。

全米1位にランキングされ、世界中でヒットを記録した。後に多くのシンガーにカバーされた日本を代表するナンバーワンソングといっていいだろう。楽曲の素晴らしさはもちろんのこと、九ちゃんの独特の歌唱が言葉の壁を越えて人々の心をつかんだ。それはもちろん、昭和を生き抜いた女たちの心にもしっかりと刻まれていて、ボックスに入るなりいきなりリクエストすることでお袋と義母のつかみはバッチリとキマった。

これですっかりといい気分になったお袋は、親父からの厳しい封印を解き数曲を歌った。きれいな声でピッチもリズムもわりとしっかりしていて、親父はずいぶんとひどいことを言ったものだと非難された。だが義母はとうとう歌わずで、これは昭和女特有の恥じらいだろうから仕方ない。そろそろ時間ということで締めはやはり九ちゃんのナンバーから『明日がある』にした。親父の分まで長生きしろよ。明日があるんだから。昭和40年男らしい親孝行だったなと、ちょっぴり鼻高々な夜に仕上がった。親御さんがご健在なら、みなさんもぜひっ!!

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

1件のコメント

  1. おふくろはいつも「だんな様(三船和子)」を歌います
    親父はいつも「わが人生に悔いなし(裕次郎)」でしめます

    去年、何の気無しに「さすらい(小林旭)」を歌ったら
    「てめえ、オレの歌をとりやがったな」と言われました…

コメントは受け付けていません。