7年プラス7年に立ち向かえ!!

東京オリンピック開催が決定して約2週間が経ち、いろんな話題が盛りあがっている。具体的なビジネスの話もちらほらと聞こえてきていて、みなさん動きが速く乗り遅れないようにしないとイカン。

7年というスパンは、夢を見るのに実にちょうどいいサイズである。出場を狙う昭和40年男はほとんどいないだろうが、この年を目指して行動を起こすなんて声がいくつか上がっていて、こうした話を聞けるとうれしくなってくる。会社を辞めて、店をスタートさせるなんて夢を掲げたタメ年もいる。準備期間として申し分ないのと、加えて人生最後の大勝負をかけるのに55歳という年齢もいいじゃないか。なるほど、そんな人生も悪くないなと、今、空想の世界を広げたタメ年たちは多いんじゃないか。パッと思いつくのは蕎麦屋の開店か(笑)。店を持って老後に備えるのは、いばらの道ながらいい選択だろう。

ただ、55歳の自分の姿がイマイチピンと来ない。このままの元気が保てているのか。酒はうまいのか。腹は出ていないか(すでに出ているが…)。仕事のモチベーションは落ちていないか。そして『昭和40年男』はどんな発行スタイルになっているか。もちろん続いていることを目指してがんばっていくが、文字の大きさはふた回りくらい大きくなっているかもしれない。実は編集部内では度々議論されているところで、だいぶつらくなってきたとの声を多く聞くから、サイズアップが秒読み段階なのだ。文字のサイズ同様、ビジネスのサイズもふた回りくらいデッカくしていたいものだ。

中高生の子供を持つ昭和40年男も多くいて、なにで出場を狙うなんて会話ができるお父さんたちがうらやましい。僕は早い結婚だったから、そんな夢は描けないもの。もしもまた日本でオリンピックが開催されることがあっても、おそらくほとんどの昭和40年男はこの世にいないだろうし、ましてや子供がいるなんてまずないだろうから、今一緒に夢を見ているのは本当に素晴らしいことだ。

もう1つ、リニアモーターカーの詳細が発表されたことで、14年後を意識する会話も増えた。リニアそのものに関しては難題が多いが、ぜひクリアしてほしいと願うのは、長く見続けた夢だから。基本計画が持ち上がったのは昭和47年のことだそうで、幼少の僕に親父が興奮気味に技術を説明してくれたことが記憶にしっかりと残っている。当時の親父の予想では、もっと早く開通していたはずなのだが、あれから40年以上を経てやっと現実味を帯びてきたのだから、ずいぶんと時間がかかったことになる。

14年後というと62歳で、まだ仕事人生が続いていることだろう。本当に総仕上げの年齢になっている自分は、どんな環境でこの開通を迎えるのだろう。名古屋だったらクライアントは多いから、関係を繋いでおきたいなんて考えている自分がバカバカしくてよい。だがちょっぴり不安なのが、親父が亡くなったのも62歳。あの日、大興奮しながら僕に説明した技術の実現を見届けるのが、ちょうど亡くなった歳になる。うーむ、1に運動2に運動で乗り越えたい(酒はひかえないぞ)。

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1件のコメント

  1. 昭和40年生まれのこの企業家たちにつづけ!

    三木谷浩史:SPAMメール配信事業者
    夏野剛:援助交際の生み親
    君島誉幸:君島インターナショナルを倒産させる
    宗吉敏彦:クリード創業するも即倒産させる
    草開千仁:ブラック企業ウェザーニューズ社長
    野口美佳:押尾事件に関与
    篠原英明:構造計算書偽造
    割方美奈子:ニイウスコーにて粉飾決算詐欺
    小川善美:インデックスにて粉飾決算詐欺

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