大編集後記その五。『西遊記』の完成度に円谷プロの特撮技術あり。

本日、我が社に刷り上がった『昭和40年男』のvol.19が届いた。ブッチャーが表紙を飾る、カワイイカワイイ最新号が、今頃トラックに積まれて全国へと旅立っているのだ。がんばるのだぞーっ。

さて、発売前なんで大編集後記を続けさせてもらおう。連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』では、昭和53年を取り上げた。多くの昭和40年男が中学生になった年で、いろんな想い出が交錯することだろう。昨日もお伝えした続きのようだが、この年に始まったテレビドラマ『西遊記』について詳しく取り上げている。僕らにとってあまりにも影響の大きい、ゴダイゴの番組への取り組みについてミッキー吉野さんから話をうかがったのは昨日お伝えしたとおり。そしてもう1人、大物インタビューが実現したのである。

西遊記 日本を代表する特技監督である、佐川和夫さんの話を聞くことができた。僕らが生まれる1年前の昭和39年に円谷プロに入社して、『ウルトラQ』からのウルトラシリーズの多くに関わった、輝かしいキャリアを持つ方である。『西遊記』の現場にまさか円谷プロの技術が生きていたとは、やはり記憶に残る仕事には理由があるものだ。日曜日の夜8時からの放送ゆえ、家族団らんを想定しての工夫が語られていて、興味深い記事となっている。こうした当時の熱を皆さんにお届けするのは『昭和40年男』が目指している展開であり、『西遊記』の6ページに2人の証言者の話を織り込んだちょっと豪華な仕上がりなった。

それにしても、日曜日の8時といえば当時は大河ドラマが圧倒的な強さを誇っていた時代であり、同時に、チャネルの権利は父親が握っていて、この時間帯を子供寄りに振った『西遊記』は大冒険だったはずだ。そこにこれでもかと力を注ぎ込んだ執念に脱帽の気持ちである。その熱にぜひ触れていただきたいページとなったから、乞うご期待ですぞ!!

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