死について考える。〜その10 死にたいほど苦しんでいるあなたへ〜

大切な友の死について長いこと書いてきた。
究極の別れであり、いつかは誰もが迎えるときがくる。
だがそれは抵抗に抵抗を繰り返して
どうにもならなくなったときに迎えるものであって、
自作自演はあってはならないことだ。

たぶん俺たち世代にとって、きついことは増えていくと思う。
今、まさに死という選択に迷っている男だってたくさんいることだろう。
無責任に「死ぬ気になってやれば」なんて言葉で落とす気はないが、
自殺で友に死なれた俺のわがままで書く。

ふざけんな!!
てめえのわがままでどれほど苦しむと思っているんだ。
どれだけの涙を流して、どれほど苦しめばすむと思っていやがる。
どんなにどん底だって、お前を愛している人間がいる限り生きろ。
その命の大きさがどれほどのものなのかをもう一度考えろ。

どんな死でも、残された者にとって大きな悲しみであることは一緒だ。
だが、くどいようだがいつか想い出に変えることができる。
自殺で逝かれた喪失感は、たぶん一生変わることなく背負い続けなければならない。
悲しみそのものや、記憶の輪郭は少しずつぼやけていくんだろうが、
自分の中にずっと残ってしまうものがある。

死にたいほど苦しんでいる人に
コッチの感情がどうこう言っても知ったこっちゃないかもしれないが、
苦しみだって原因があって、丁寧にほどいていけばきっとなんとかなるはずだ。
年間3万人以上が自ら命を絶ち、その7割近くが男性で
しかも中高年は増加の一途をたどっている。
これが事実ではある。

俺は『昭和40年男』を通じて、そんなバカ者たちを思いとどまらせたい。
これもこの本をつくっていくモチベーションである。

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